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身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
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十六菊花紋の秘密 19

この地域がこの時代のように突出した発展を遂げたのは、この時期しかない。またシュメールと同様に、この時代のインダスも様々な人種が行き交う国際的な都市であった。
だが、このインダス文明も歴史の法則に抗することは叶わなかった。4000年ほど前(この周期の最後の時期)に、アーリア人の侵入が始まり、この勢力により衰退の道を辿るのである。
インダス文明の衰退と前後して、新たな文明の先端地としてクローズアップされるのがメソポタミアである。メソポタミア文明は、先の東回り周期と同じポイント栄えた。
つまりシュメールの跡地に栄えた文明であったが、この時代にシュメール人はアムル人の勢力に押され、文明の主体者はシュメール人ではなくアムル人へと入れ替わっている。
千賀は民族が入れ替わっているので、同じ地域の文明ではあるがシュメールとメソポタミアとに分けて表記している。

 アムル人によるバビロン第一王朝は、西回りの文明周期の初期にあたる、紀元前1830年ころより始まる。このポイントは後のヨーロッパ文明の精神的故郷とも呼べるポイントである。ヨーロッパ文明の基礎であるキリスト教やユダヤ教(イスラム教も含め)のルーツは、全てこのラインにその源郷を見出すことができる。
 旧約聖書にアブラハムはカルディア(シュメール)で生まれた、と書かれている。ユダヤ人の歴史はこのアブラハムの子イサクから始まり、イエス・キリストもその種族の末裔の出身である。
アブラハムの父親がシュメールの地に来たのは、紀元前2000年ころとすれば、それは西回り周期のスタート地点に相当する。そして、この周期の晩期にはアッシリアの支配に屈し、文明の寿命が尽きる。更にはこの終末と相前後して、新たな文明であるガンジス文明が始まるのである。

第三文明期(3200年前~1600年前)

回りスピン=東経90.0度=ガンジス文明の中心。
西回りスピン=東経22.5度=ギリシャ文明の中心。
 次に始まる1600年周期の中で、東回りのポイントで最も繁栄したのが、ガンジス文明である。この文明が後に最も東洋的な思想の発源地となる。文明の誕生とは実に不思議なものだ。一民族が何かに導かれるように移動し、辿り付いた先で文明を開花させるという様なことが時として発生する。ガンジス文明もまさに、そうして発生した。
ガンジス文明はアーリア人が南下し、インド古来の文化を吸収発展させることで始まった。
 この文明の中心はガンジス川流域にあるが、そこはインダス文明の中心から東へ22.5度のポイントになる。
アーリア人がガンジス流域に侵入したのは3100年ほど前で、リグベーダ(バラモン教の経典のひとつ)の成立やバラモン階級(カースト制の最上位の階級)の確立が3000年ほど前で、それはちょうどインダス文明誕生から1600年に当たる。

 西遊記などで知られる高度精神文明の国『天竺(てんじく)』とは、まさにこの時代のインドのことである。この時代のインド思想は、タイやミャンマー、中国や日本などアジア全域へと広がったのである。
ガンジス文明の都市国家からは世界的に影響を及ぼす様々な思想家が現れた。この東回り周期の晩期に、釈迦(ゴータマ・シッダルタ)も現れているが、この周期が終わり統一王朝の時代へ移ると都市国家時代のような独創的な思想家は現れなくなる。
この時代のエッセンスが仏教などを通して諸外国に発信され、周期が終わるとこれを学んだ中国などが発展を遂げ、逆にインドは輝きを失い暗黒の時代へと入っていく。
そして文明はギリシャ、ローマへと続く800年の繁栄期に入るが、その末期にはローマもまた暗黒時代へと突入して行くのである。
395年=ローマ帝国の分裂。
401年=西ゴート王アラリックがイタリアへ侵入。
401年=アラリックによるローマ市征服。
476年=西ローマ帝国滅亡。
by levin-ae-111 | 2011-06-06 04:58 | Comments(0)