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身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
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戴いた本が読めない

 先々週に友人のMさん共々にお訪ねした、高岡市内の気多神社の宮司様ご夫妻から戴いた本があった。『宇宙心』という題のその本は、沖縄の霊能力者Sさんの素晴らしい行動と祈りについて友人の方が書かれたものだった。
Sさんは沖縄で一時は事業を起こし、成功を収めるもののある時、白い鳥に導かれて滝にたどり着き、その滝で禊をして掲示を受けた。
それから修行を始めて、あるときに高野山へ行った。そこで目にした絵本に心を惹かれ、子供たちに読ませたいと思った。
それからがSさんの素晴らしい、全国の幼稚園と小学校へのソ贈書の旅の始まりだった。
S氏は単に本を送るのではなく、自ら手渡したいという信念を持っていた。
そして、当然のことお金も無く、S氏の妻子にも苦労を掛けることになったが、妻子は全面的に協力し家族の絆はより深まっていく。
 
 そして配本の目標を終えると、花の種を送ることを思いつき、それを実行していく。
その途中で神からの啓示を受けて世界に光の柱立てを行う旅に出る。様々に困難を極める中で、神仏と対話しながら地球を救う為の行を続けるS氏は宇宙神の一柱である。
従ってその正体を知る地球の神仏は、一々にお礼や賛辞を述べられるのである。
そしてS氏の並々ならぬ行のお陰で、地球は救われたと言われる。
 本の著者はS氏や他の霊能力者の人々とともに、様々な行事に参加し、そこで様々な不思議に遭遇するのである。

 さて、これを私が何故に途中で読めなく成ってしまったのか。別にこの本に書いてあることに、嘘や偽りがあるとは思わない。地球のために祈り、行動されるS氏の行いは実に立派であり、決して私などには真似のできない素晴らしい行いである。
前半の学校へ本や花の種を贈呈するくだりまでは、私もスラスラと読めたのである。それが神仏の願いを受けて、様々な地で儀式を行うあたりから読めなくなった。
光の柱を祈りによって立て、その度ごとに神仏からの祝いの言葉やお礼の言葉が述べられる。その模様も同伴した霊能力者の方の霊視や、S氏の行動などでつぶさに語られる。
 
私はどうも、その部分が苦手らしい。後半の殆どがその様な記述なので、私には読めなくなってしまったのだ。何度も言うが、決してそれらを否定しているのではない。
原因は無論、私自身の中に存在するのだが、殆ど無意識にその様な内容が苦手なのだ。
これに類する内容の本は多数存在するが、その何れも今の私には読めない。
考えてみれば十数年前の私は、この類の本を何の抵抗もなく読むことが出来た。神仏の言葉は天御中主や天照大神、イザナギやイザナギ、大国主、スソノオ、キリストや釈尊に止まらず、孔子や孟子などおおよそ考えつくだけの神仏や偉人が登場して話しをしているのだ。その不思議さに引き込まれ、無知な私は面白く読むことができたのだ。

 しかし今と成っては、その神仏の言葉は何ひとつ成就しておらず、寧ろ頼りなさばかりが募る思いである。人間に目覚めて欲しい、早く正しい人間としての生き方に戻って欲しいという神仏の御心は理解できるが、だからと言って世界を浄化するなどとして生き物を
殺傷するような行為が許されるのであろうか。
ならば人間に意志を与え、物事を選択する自由を与えた神仏の罪は何と深いものであろう。
そして、人間を使わねば神仏も何事も成就できないというもどかしさ。
私にはこの類の本の中で語られる神仏の言葉には、そういったジレンマが滲んでいるように感じられて仕方がない。
 私たちが住むこの世界は、物質界であり異なる世界に住む霊的存在である神仏にとっては、簡単に手出し出来ない世界であるようだ。
故に霊的世界での出来事は、何れこの世にも出現するという原理を利用して、神仏は盛んにこの世界へアプローチしているかの様に思える。

 S氏の場合も物理的に何をするのかと言えば、祈りを捧げて光を送る(光は目に見えないらしい)儀式を行うのである。恐らくは物質世界ではない世界への働きかけであり、霊能力を持った人にしかそれを見たり感じたりすることは出来ないようだ。
これの意味とは、恐らく異なった次元へのアプローチを通して、現実の次元へとその効果を還元するという狙いを持った手法なのであろう。
 しかし私は思う。この物理的宇宙とは純然たる物理的法則の下に出現し、運営されているのである。それは私たちの想いに関わらず、整然と飽くまで物理的宇宙法則に則って運行されている。ただ、その一部に私たちの意志が関わることが許されているに過ぎない。
それが量子論などで言われる、観察者効果などに見られるような極微細な世界への影響力として現れているのではないか。
地球が危機的状況に陥ったのは(本当に危機的状況なのか?)、人的な影響もあるだろうが本当は宇宙的な物理的法則による原因ではなかろうか。物質として存在するものには、寿命が付き物であり、必ず崩壊する時が訪れるのである。
或いはまた、巷間いわれている様に、自然な物質としての変化の時期を迎えているのかも知れない。

 神仏といえども、多次元宇宙の何れかの領域に住む者である限りは、各々の次元での法則に従わねばならないに違いない。故に物質的地球に影響を及ぼすことは難しい。それでも地球人類を救いたいと願う神仏の御心は、私には切なく映る。
圧倒的な負け試合でコールドゲーム寸前の我が子のチームが目前にある。それでも父母は一生懸命に声を枯らして声援をし、奇跡を願う。そんな心境ではなかろうか。
 どちらにしろ、私たちと地球は、言われている様な転換期を迎えているのであろう。
しかしだからと言って、騒ぐ必要はない。私たちは、宇宙の真実の御心にお任せするだけである。そう決めて、自らの良心に従い淡々と生きるしか術はないのだと思う今日だ。
Commented at 2011-08-01 09:46
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ryukyu at 2011-08-01 13:27 x
いつもありがとうございます

以前 精神世界のことを精通した 人々が なぜ 交わらないのか?という質問をしたことが ありますが その答えがわかったような気がします。

精神世界に精通し実践することは とても善い行為でありますが善き行いを続けることは 幸せに執着する性質があるということを理解したほうが よいと思われます。(善性優位)

levinさんも あらゆる善い行為も 幸せへの執着に映ったときに違和感を感じているのでは ないでしょうか?

あらゆる宗教や精神世界の教えが 幸せへの執着にならないか 最近 疑問におもっていたところなのです。 
違っていたらすみません。これからもよろしくお願いします。 

Commented by levin-ae-111 at 2011-08-01 18:28
Tukasa-gumiさん
ありか゜とうございます(^^)
その通りだと想いますよ、人間に関わって来るのは大元の神では
ありません。大元の神は、何も要求しないし悲しまないと思います。
私たちに関わって来るのは、やはり神と名乗る進化した人間霊や
宇宙人なのでしょう。

ryukuyさん
有難うございます(^^)
私の場合は幸福への執着への違和感というよりも、単純に
面白くない(笑)それから、偉大な方が手を打って下さった
なら、どうして現象として現れないのか?
幾らタイムラグが有るとは言え、私たちの地球の現状は目に
見える限り悪化する一方ですよね。
それだから、読めないのかも知れません。確かに素晴らしいけれど
真似はできないけど、それでも一個人の或いは小数の人々のリトルワールドにしか思えないからです。
こちらこそ、宜しくお願いします。
Commented by 探し物 at 2011-08-02 14:45 x
私もlevin さんの苦手のところが苦手です。
悩ましい問題ですが、私はこう思います。
大元の神は「ある」という状態で 「いる」のではないと思います。
その感情については保留です。
Commented by levin-ae-111 at 2011-08-02 19:24
探し物さん
有難うございます(^^)
確かにそうかも知れないですね。ただ在るだけなのでしょう。
感情面は、私も予想すらできません。
by levin-ae-111 | 2011-08-01 05:15 | Comments(5)