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by levin-ae-111
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敵は日本人(リバイバル)

 マーシャル諸島のミレー島は珊瑚礁で出来た小さな南海の楽園だが、海岸には今も戦争の残骸が楽園には不似合いな無残な姿を晒している。
太平洋戦争中はここに海軍の飛行場が建設され、三千人の海軍守備隊が派遣されていた。戦争の旗色が悪くなると、海軍の強い要望により陸軍も一千名の兵をこの島へと送った。
送られたのは石川県金沢市の歩兵、第107連隊所属の1個大隊であった。

「兵には何処へ行くか知らされていなかった。ただ、支給された服を見て南方だと思った」と当時の兵士だった人が証言されていた。
当時は海軍と陸軍の意見が合わず、陸軍は南方の小島への兵の投入を拒み続けたが海軍に押し切られる格好で一千名の兵士を送り出した。
戦局が逼迫する中で、周囲の島に居た日本軍は次々と玉砕して行った。しかし米軍はミレー島には上陸せず、この島は補給が断たれて孤立することになる。

小さく平たい島には、身を隠す場所も無く兵士たちは連日の空爆に晒され死者が増える一方だった。食料も枯渇し、島中の草も食べ尽くされていく。陸軍の一千名は海軍の指揮下に入っていたが、食料の管理をしているのは海軍だった。陸軍は食糧配給を巡り海軍への不信感を募らせていく。食料庫では不審者と見ると銃撃した。無論、米軍は上陸していないから、島には日本人しか居ない。「判っていても撃った」と、当時の海軍兵は言う。

元陸軍兵士は言う「海軍は食べている。こっちは何も無い。海軍が食料を隠しているのは判っていた。食料庫へ泥棒に行った」と。
孤立する少し前、飢えた兵士は補給船を目前にして歓喜していた。輸送船「南海丸」が食料を運んで来たのだ。しかし無残にも、船は兵士たちの目前で海の藻屑となってしまう。

それ以来、補給は絶たれ陸海軍の間だけでなく、陸軍内でも不信感が募り対立が始まる。
将校と兵の対立だ。将校は無意味な命令を繰り返し、兵士は次第に反感を抱く。
時には将校からの暴行で大怪我をした兵士が、将校を銃殺する事件があったり、寝ている将校を兵士が集団で布団をかぶせ窒息死させたりした。

「あれは、戦争じゃあない。地獄だ」「あんな島に行って、何がお国のために成るか」と、現在では90歳前後の人々が異口同音に語る。
「飢えを満たす為に何でも食べた。魚を捕ったりしたが、内臓に毒があり内蔵を食べた人間は皆、毒に殺れた」
「草も食べた。虫が食べている草は大丈夫、虫も栄養と虫ごと食べた。トカゲは全部食べても大丈夫だった」
その魚捕りも命がけだった。缶に火薬を詰めて魚のいる海に投げると、火薬の炸裂した衝撃で魚が浮き上がる。それを捕るのだが缶を投げるのが遅れれば、自分が死んでしまう。
魚を探している内に、導火線が燃え尽き火薬に点火してしまい、亡くなった人も多いとか。

更に海では敵機に狙い撃ちされる。執拗に銃撃を加え、それでも死なないと爆撃する。
海中にもぐって適弾が沈んで行く様子を見ていた人も居る。
「最後は爆撃だ。遠くで爆発しても、痛くて痛くて、身体がガタガタになる。至近弾ならそれでお終い」と、経験者は語っておられた。

昭和20年には陸軍の一千名は、半数が死亡していた。海軍も似たような死亡率だと思われる。敵の攻撃よりも飢えと栄養失調が兵士たちにとっては脅威だった。
「栄養失調というのは、最後まで意識がはっきりしている。おい、誰々が喋らなく成ったと、その人の身体を叩いても反応しない。そう成ったら、翌朝には死んでいた」

兵士たちは畑を作って飢えを凌ごうとした。しかし、米軍はそれを許さない。
これとは別の番組で、飛行艇の機長の体験が語られていた。「今度、来る時はこれで野菜の種を買って来て下さい」と、南方の守備隊の将校が機長に何十円ものお金を渡したという。
「自分たちは来られないかも知れませんが、僚機で来る者があれば必ず」と、約束したが終戦を迎えて届けられなかったと。

戦争末期には日本兵にとっての敵は連合国軍ではなく、飢えと病だった。
特に孤立した南方の島々では、この話しの様な悲惨を極める状況が方々で存在した。
また島でなくとも、南方へ進軍した兵士たちはマラリアやコレラ、赤痢などに罹患し落命する人も多かったのである。犠牲者の多くは今も人知れず密林や島々に眠っている。

何故この様な陰惨で目を背けたくなる話しを書くのか、ただ知って欲しいと思うからだ。
元兵士たちは勇気を持って当時の筆舌に尽くし難い体験を語ってくれている。
それは現代の恵まれた状況では想像も出来ない悲惨さを、そして戦争の愚かさを伝えたいと願うからだろう。
そして先人の心を受けて僕たちも伝えねば成らない、より素晴らしい未来を構築する為に。
by levin-ae-111 | 2011-08-12 06:58 | Comments(0)