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by levin-ae-111
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日本とユダヤの不思議な関係(リバイバル)

(三)ユダヤ人の系譜
 ひとことでユダヤ人とはいっても、その正体はどうも単一の民族ではないらしい。
大きくはセファラディとアシュケナジに分類され、この二つの民族には人種的な共通点は余り無さそうだし他にも細々と様々な民族を含んでいるものらしい。
聖書によれば総ての人種の始祖はアダムとイヴであり、そこから枝分かれした様々な人種が示されている。これは聖書が編纂された時点で、存在を知られていたあらゆる人種や部族を強引に一つの系統樹に組み込んだものかも知れない。
旧約聖書によればイスラエルの始祖はアブラハムであり、イサク、ヤコブと続き、ヤコブの十二人の子供が十二部族の祖となったとされている。
イスラエルの意味は「神に勝つもの」だそうで、ヤコブが天使と試合をしてこれを打ち負かしたので天使は「お前は今後、イスラエルと名乗れ」と言って去ったというエピソードに由来しているとされる。

現代のユダヤ人はスペイン系のセファラディと東欧系のアシケナジに大別されるが、この現在のユダヤ人の大半を占めるアシケナジはずっと後に(8世紀)に改宗したカザール人の子孫であるらしい。
話しはまた聖書に戻るが出エジプト記で神はモーゼに対して、一々ご丁寧にも私はアブラハムの神でありイサクの神でもあり、ヤコブの神だと名乗っている下りがあるらしい。
何故にそんな風に名乗るのか、と考えれば、アフラハム、イサク、ヤコブはひとつの系統ではなく別々の系統の民族ではなかったかとの考えに行き当たる。
またヤコブが子である十二部族に示した祝福が、また奇妙にも別け隔てが激しく明らかに悪意に満ちている様な内容のものがある。
中でもダンは道のかたわらのヘビとか、イッサカルは奴隷となって追い使われる、ベニヤミンは引き裂く狼などと、とても祝福とは思えぬ内容である。
これらは、やはりイスラエル人も多民族で構成されていたであろうと、予想させるに十分な証拠ではないだろうか。

 聖書を編纂したのはユダ族であるが、ヤコブが異民族の召使に産ませた子供もおり、十二部族の間にも身分の差が在ったのだろう。
この様にユダヤ人の系譜も実は複雑であり、単一でなかったことが伺える。中にはエジプト系の人々のように肌の浅黒い種族も居たに違いない。
あたかもユダヤ人が単一の民族であるかの様に見せかけた聖書の記述は、この限りでは何らかの意図があって記されたものであろう。


(四)各地に残るユダヤの足跡
 ここでは古代から現代にまで続いて残っている、ユダヤと日本の不思議な共通点を坂東氏の著書を参考に拾い挙げてみる。 

『平安都と琵琶湖と太秦』
古代社会でも最も有名な帰化人といえば『秦氏』であろう。聖徳太子の側近に秦河勝(はたのかわかつ)が居り、この人が宮廷での雅楽を世襲してきた東儀家の遠祖といわれている。河勝は渡来人であり、秦の苗字が示すように秦氏の出身であろう。
秦氏は雅楽、絹織物、土木、農耕などの技術を持っており、その技術を背景に巨大な富を蓄え政治的にも影響力を及ぼすようになった。
その秦氏が主導して作り上げたのが平安京であるという。これはヘブライ語のイールシャローム(エルサレム)を日本語にすると平安京となるのだそうだ。そればかりでなく、何とエルサレムの付近にはキネレット湖があり、これは琵琶の意味だそうでエルサレムという街の名とキネレットという湖の名をそのまま写したのが平安京と琵琶湖だといえよう。

そして東映映画村で有名な太秦(うずまさ)という不思議な地名もまた、秦氏を暗示する。彼の地は秦氏の居住した地区であるとされ、ヘブライ語のウズ・マシアッハが訛ったものと考えられている。その意味は『救い主の栄光』または『救い主の力』となるそうだ。
また太秦に残る木嶋坐天照御魂人神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)は別名を蚕の社(かいこのやしろ)と呼ばれ、秦氏が絹織物の技術を所持していた名残を示すものであろう。更には三本柱の鳥居が現存する神社としても有名である。
この意味は恐らく、キリスト教の教義である『三位一体』を象徴するものであろうとする研究結果を発表している学者もいる。
つまり秦氏はキリスト教徒であり、恐らくはユダヤ系の流れをくむ氏族であったと予想されるに十分な証拠といえるかも知れない。
更に坂東氏の著書では、蚕の社の側にある『大酒神社』について、本来の文字から古代ユダヤ王国のヒーロー、ダビデ王を祭った神社であると結論付けている。
また広隆寺には、モーセの十戒に酷似した十膳戒という十戒が存在する。
この広隆寺は、秦河勝が建立した寺だとされている。

秦河勝が仕えたとされる聖徳太子は、その能力の高さもさることながら、出生のエピソードが某有名な人物にそっくりである。その人物とは言わずと知れたキリストその人であるが、両名とも馬小屋で生まれたとされている。古代には馬小屋で子供を産む世界的な習慣でも存在したのか、そんな馬鹿なはずはない。
聖徳太子の逸話は恐らくキリスト誕生のエピソードを、模倣して造り上げられたのであろう。
聖徳太子が制定したとされる『十七条の憲法』や『官位十二階』も、大陸や朝鮮半島の影響、無論キリスト教的な影響を受けて、発想されたものかも知れない。
何しろ、側近には大陸を1万キロにも渡って踏破したユダヤ人の末裔、秦河勝が居たのだから。
by levin-ae-111 | 2011-09-05 05:21 | Comments(0)