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by levin-ae-111
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日本とユダヤの不思議な関係(リバイバル)

(十七)日本は神の宝箱か。
 伊勢の国はイセツヒコとイセツヒメという兄妹の神が、平和に統治していたが突然に天日鷲命が現れて強制的に国譲りを迫る。兄妹はその夜に風を呼び、大波に乗って光に包まれながら東へ旅立ったという。彼らは信濃の国へ行ったと伝説は語る。
水上氏はイセツヒコとイセツヒメが象徴的に単純化されているとすれば、国譲りを迫った天日鷲命の名もまた、そうであろうと予測する。
氏はこの神の名から、有翼日輪という水平に翼を伸ばした日輪の紋章が連想されるとしている。
有翼日輪は古代エジプトの王権の象徴であり、ツタンカーメンの玉座の背板にも刻まれている。天文学者は日食の時の赤道型コロナが原型と予測しているが、同じ紋章はヒッタイトやペルシャの美術にも見られるのだという。

 この連想は強引に過ぎると想えるが、これは長い伊勢神宮の歴史では普通に度々に起こっていたことである。その時代ごとの支配者たちは常に最新の秘儀を持ち込んだが、その一方で古い秘儀を破壊することも出来なかった。
その結果として一見して伊勢神宮には不似合いな習慣や、文物が現代に伝えられることになったのであろう。
吉野裕子氏の研究では一時期、中国占星術の影響で北極星が『太一』(たいいつ)として祭られていた時期もあったという。
二十年に一度の皇大神宮の御遷宮では、様々な御装束が用意される。
中でも千年くらい前の記録に残る装束は男性用であったとされ、ここから天照大神は男性ではないのかとの議論が持ち上がった。
今となっては不明であるが、それはもしかしたら太一の衣装であったかも知れないとの予測もできる。
 遠い神代のベールの向こうで、入れ替わり立ち代わり時代の覇者がやって来て思い思いのイデオロギーで伊勢神宮を席巻した。しかし、その覇者たる者たちも遥かな古より連綿と続く神宮の威厳には叶わず、その歴史の重みを完全に払拭するには到らなかったのであろう。
それが結果として天照と北極星を習合するような、強引な形式となったのだろう。
 
それにしてもシュメール、ヒッタイト、ペルシャ、エジプトと古代に潸然と輝きを放った総ての文明の痕跡を現代に残す日本とは、日本人とは何者であろうか。
それは単に日ユ同祖論を凌駕して、人類史の大海原へと私達の眼を向けさせずにはおかない大きなロマンとして、また深い謎となって私の眼前に屹立する結果となった。
過日友人のFが大本教の唱えた日本は世界の雛形だとする論について、具体的に日本の何処が世界のどの場所に対応するかの資料を持参してくれた。
一読しただけではピンと来ないが、こと細かく世界との対応が記されている。
それは日本が地形だけでなく、気候までも世界のミニチュア版として捉え得ることを示している。
最終的な結論は決して見えないが、ユダヤはイスラエル人を含む多民族が渾然一体となって形成されていた。そこには、それ以前のシュメールやヒッタイトといった古代帝国が多民族で形成されたのと同様に、様々な民族がひしめいていたに違いない。
日本が世界の雛形であれば、気候、地形ばかりでなく人種的にも様々な民族の集合体であったとしても不思議ではない。

現在の日本人の無限ともいえる顔の特徴は、そんな人種の坩堝(るつぼ)から産み出されたものであろう。人がそうであれば、人間生活に必要だった宗教もまた世界の各地から持ち寄られたことだろう。
古代世界でも現代と同様に他の事柄と異なり、各々の民族が己の信仰だけは護ろうとしたのかも知れない。それは各々の民族にとって、祖先と繫がる最も重要な儀式として、精神的な糧となり民族のイデオロギーを保つ重要なアイテムであったろう。
太古、日本へ渡って来たユダヤ人もまた、そうしようとしたに違いない。
しかし日本には既に大きな文明の基盤を持った人々が先住しており、ユダヤ人は苦労の末にその中でも一大勢力として中央に座ることに成功したのだろう。
だが前述のように彼らユダヤの狡猾な戦略と戦術を用いても、多くの先住民が根付かせた伝統と歴史の重みを完全には払拭できなかったのだ。
それが現代に伝わる祭や習慣の中に多くのユダヤ的なものを見出しながら、同時にユダヤ的とは言い難い事柄が存在する理由であろう。

ユダヤ人にとっての約束の地とは、本当は中東ではなかったのかも知れない。
彼らは東洋の島国に真実の約束の地を見出し、そこで努力し成功を勝ち取り真実のエルサレムを築きあげてきたのだ。
私達の歴史とは古代の渡来人による主導権争いであり、最終的に最もユダヤ系渡来人がより多くの勝利を重ねた結果が、今日の状況なのである。
日ユの不思議な共通点は、記紀神話以前の古き時代から徐々に変質しながらも、醸し出されたものであり決して日ユの専売特許ではない。
それを生活や慣習の中に近代までより強く残したのがユダヤと日本であり、その基盤はより古い文明のカケラであったのだろう。
またそれが、世界の雛形とも呼ばれる日本列島で自然な形で保管されているのは、決して偶然では在り得ない。
聖書的な事柄がイスラエル世界では、強引な手法で残されている様に感じさせるのとは対照的である。やはりそこには、私達には想像の付かない何かのパワーが作用しているのかも知れない。

曲がりなりにも世界的な先進国として発展し、経済力でも軍事力でも一流の国を築いている日本人、しかし自分達の真実の歴史を知らず、自分達が何者であるかさえ知らない。
それが今日の日本人の頼りなさ、優柔不断さに繫がっているのかも知れないと感じる。
だがそれも裏を返せば、無類の柔軟性ともいえる。良い意味で、日本人は世界の民族の中で最も中道を歩む資質を持っているのである。
混迷の極みともいえる現代で、日本人の果たすべき役割は重い。
この時代に備えて、何者かが東洋の端に文明のエッセンスを集め、密かに保管してきたのかも知れない。もしかしたら、その何者かは『真実の神』であるのだろうか。
終わり

参考文献

『ユダヤ人と日本人の秘密』    水上 涼 著 日本文芸社

『古代日本・ユダヤ人渡来伝説』  板東 誠 著 PHP研究所
by levin-ae-111 | 2011-09-18 06:59 | Comments(0)