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by levin-ae-111
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長い題名の本42

空海の「観察者効果」1

 引仁2年(811年)に空海は嵯峨天皇の御前にて、御意にお応えして彼の凄まじいばかりの神通力を披露した。天皇の思し召しに応じた空海は、印を結び真言を唱えると、見る間に顔面が黄金に輝き出し、眉間には白光が放射されて頭上には宝冠が出現して、五色の光を放った。芳ばしい香りと絢爛たる光が周囲を満たし、すべてを包み込んで行った。
「大日如来だ!」居合わせた人々は驚愕した。
光輝く大日如来の姿は、光を放射しながら空中を漂い、揺れ動いて人々の心に大きなパワーで働きかけてきた。人々の気が遠のく手前で、如来は消え元の空海の顔に戻っていた。

 空海は『弁顕蜜二教論』で、一般仏教と密教の違いを説明している。
それによれば、法身の説(密教)は深奥であり、応身の教(顕教)は浅略なのだと述べている。更には密教には二つの秘密がある。一には衆生秘密であり、二は如来秘密である。
秘密の教えは大日如来の説かれたものであり、人間には奥が深くてとても理解できない。だから秘密の教えであり、故に密教なのである。
秘密の教えの中味は、人間の本性は仏なのに、誰も気がつかないということ(衆生秘密)と、そして大日如来は真言でしか話さないので、真の内容は人間には判らない(如来秘密)という二つの秘密である。

 空海はただの宗教家ではない。時には深層心理学者であり、ある時は錬金術師であり、科学者でもあった。無論、宗教家としても図抜けた存在であるのは確かである。
直弟子の真済が『空海僧都伝』の中で「国家の為に壇を建て、法を修すること51度、風を息め、雨を降らせし霊験その数あり」と記している。
空海は、その他にも水を湧き出させたなど多くの伝説を各地に残している。
量子物理学が究めたひとつのエッセンスは、人が見ることによりミクロ粒子が瞬時に変化する「観測者効果」である。空海が行ったか数々の軌跡も、この「観測者効果」によるものだとコンノ氏は言う。
 空海は無論、現代の量子物理学は知らない。しかし、それでも壮絶な修行を通して、観測者効果を体得し、数々の奇跡現象を出現させていたのだ。

コンノ氏は1999年にバイクで、四国88箇所を巡り、予想以上に空海のエネルギーを感じられたそうである。車も無い時代に四国88箇所の寺社を創設、その幾つかは険難な峰に建てられている。空海は江ノ島にも訪れており、そのスタミナは現代人の想像を超えていると記している。
その点に関しては私(ブログ筆者)も、コンノ氏同様の感慨を抱いている。昔の人々、そうはいっても、そう大昔でもない大正初期の頃までも、日本人は誰しもが素晴しいバイタリティーに溢れていた。田舎ではもっと最近まで、昭和の初期までも同様であったろう。
以前に調べた武士団の足跡では、何度も京の都まで攻め上っていたり、都から遠征して地方を征圧に向ったり、とそれを多くの兵たちは徒(徒歩)で行っていたのであり、道中も全て野営であった。
昔の人々のこのバイタリティーは、本当に現代人には考えられないものだと思う。

 空海は遣唐使として中国へも渡っており、これは更に現代人には考えられない苦難の旅であったろう。24歳からの7年間、空海は消息不明で記録上に存在しないという。
その空海が突然に遣唐使の一員として、唐突に歴史に浮上してくる。
歴史上の人物の多くには、必ず謎の部分が存在するのであるが、空海のそれは他を圧倒してはばからない。入唐にしても、多くの謎が付き纏っている。

①当時、遣唐使に参加するには莫大な費用が必要だった。一介の私度僧にしか過ぎなかった空海が何故、国家的一大イベントに参加できたのか、費用はどうしたのか。

②渡航費ばかりか、私費留学生としての立場で遣唐使に参加した空海だったから、20年にも及ぶ膨大な費用をどう工面したのだろう。

③空海が得度(国家公認の僧侶となること)したのは、出発の僅か一月前であったという。
如何なる手を使って、遣唐使節団に滑り込んだのだろう。

これらの謎を解く鍵は、空海が踏破した山岳地帯には、水銀鉱床が存在したということだ。
例えば徳島県阿南市の若杉山遺跡は、水銀の採掘跡であることは明白であり、その山を更に登ると、空海が虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を修したと伝わる大龍寺に行き着く。ここも弥生時代からの水銀の産地で、近くには銅鉱山も多いという。
 そして空海の最大の業績、高野山金剛峰寺の創設がある。この山岳霊場を修験道場として開いたが、ここもやはり日本有数の鉱床地帯で、現在でも水銀などの鉱物が埋蔵されている。これらの例のように、空海の足跡を辿ると水銀鉱脈と重なってくるのである。
by levin-ae-111 | 2012-02-20 05:19 | Comments(0)