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by levin-ae-111
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古代人は姓をどう決めていたか(古代史の舞台裏より)

 ヤマト王権時代に採用された「氏姓制度」の氏とは、同じ先祖を持つ家族集団のことだとされる。氏とは社会的にも政治的にも基礎となる集団であった。
この氏の名には、地名に由来するものや職業に由来するものが存在した。
例えば「曽我」「藤原」「筑紫」「日向」などは、地名に由来するものであり、神事に関わる職業の氏は「中臣」など、「物部」「大伴」などは軍事関係の職についた人々が名乗った氏であった。

姓はその人物の家格や尊卑を示す呼称であった。「氏姓制度」とは氏を基礎単位としそれを姓によって秩序づけた制度であった。ヤマト王権時代に姓を持っていたのは豪族だけで、庶民には無かった。
大化の改新以降、日本も中国を手本にして、本格的に律令制度を導入しようとしていた。607年には「庚午年籍」(こうごねんじゃく)が作成され、全国民を戸(家)ごとに登録されることになった。
これにより、以前は豪族の所有物であった土地や領民たちは、中央政府により掌握されることになった。

 さて、そうなると庶民にも姓が必要になる。そこで昔から技術者集団などを管理するための「部民制度」の部をそのまま姓として名乗った人々もいたらしい。
例えば「馬飼部」「錦織部」「玉作部」「鵜飼部」「海女部」「土師部(土器を造る)」などが存在したという。
しかし他方では山本建造氏のように、山の麓に居たから山本、川の上流に居たので川上というように地名というより、居住していた場所を姓にした人々もいたという説もある。

 富山には佐々という姓がある。これは戦国武将佐々成政の子孫の方々と、成政から佐々の姓を下賜された家来衆の子孫の方々である。成政は後年、肥後熊本へ国替えをされているので、熊本にも恐らくは佐々姓の方がいらっしゃるだろう。
佐々姓に限らず藤原姓や徳川姓など由緒正しい姓の家は、ある程度のルーツを予想できるが、私のごとき姓ではルーツを辿ることは難しい。
きっと江戸時代が終わり、再び庶民にも苗字が許された折に、我が家の先祖が適当に名乗ったものであろう。
by levin-ae-111 | 2012-05-10 05:21 | Comments(0)