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by levin-ae-111
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縄文時代の戦争

 縄文時代は、リーダーこそ存在したが基本的に身分や貧富の差がない平和的なイメージが一般的だ。しかし2002年、土佐市で発見された縄文晩期の居徳遺跡から、どうやら戦闘によって殺されたと思われる人骨が発見された。
それはバラバラにして遺棄されていたが、成人男女9人分の遺骨であることが判明した。
その骨には傷付けられた痕があり、国内最古の戦争の犠牲者たちであると考えられている。

 骨製の矢尻で穴が開いている骨や、金属製のノミ状のもので何度も刺された痕跡が見てとれたからだ。集落同士の争いとも考えられたが、発見された骨は鹿やイノシシの骨と共に捨てられていたので、死後すぐに解体されて特定の部分だけが捨てられたものと考えられている。
 さて、鹿やイノシシの骨と一緒に捨てられているとなれば、私などは嫌な推測をしてしまう。それは食人習慣を持つ人々の仕業であり、殺された人々はその餌食に成ったのではないかという疑問である。

 ここに面白い説がある。『飛騨福来心理学研究所』を主催されていた故山本建造氏は、天皇家のルーツを飛騨乗鞍岳の麓へ求めている。
『淡の上方様』と呼ばれる天皇家の祖先は、平和の内に住民たちを統治していた。しかし大陸からの渡来者が増えるにつれて、悲惨な事件や争いが多くなって来た。
これを憂慮した『淡の上方様』は、方々へ人を遣わし渡来人の監視と上陸阻止に当たらせた。その渡来者たちは食人習慣を持っており、日本の人々はその犠牲になっていたのだと説いている。
この戦争の痕跡を残す縄文人たちの遺骨は、それが一部では事実であったことを示しているかも知れない。

 確かかどうかは知らないが、北京原人の住んでいた痕跡のある場所から、原人の子供の骨が何体も出土しているという。また古代の中国では、敵に囲まれて孤立した城砦国家では、住民たちがお互いの子供を交換して食料としたものらしい。
ある本によれば、つい100年程前まで中国では食人習慣が残っていた。彼のマルコポーロも、中国ではいつ殺されて食べられてしまうか心配だと書き残しているらしい。
これらのことから、荒唐無稽に聞こえる山本氏の説も、あながち出鱈目とも言えないのかも知れない。
Commented by Tukasa-gumi at 2012-05-26 12:52
たしか、
水面に映った光を見つめる透視や予言の神事?を
行っていたという話しもあったような・・?


けっこう隠された 外伝 という感じで
真実味がありますよネっ。

(『東日流外三郡誌』なども好きですっ)



不思議に思うのはこの手の古史古伝の話は
必ず?「天皇」に結びつくこと・・・


やっぱり日本は天皇あっての国なのですね・・。




Commented by levin-ae-111 at 2012-05-26 13:38
Tukasa-gumiさん
ありがとうございます(^^)
山本説では、その儀式を「日抱きの儀式」といい、それが飛騨の
地名の語源だとしています。山本建造氏の唱える説は、とても
ユニークな感じがしますが、恐らくは全国的に行われていたもの
かも知れません。しかしそれも、原日本人の行っていた儀式であり
後に日本に定着した渡来人の文化とは相容れないものだったので
しょうか。

若い頃(民族学など興味がない頃)に、北海道出身の人に言われたこと
があります。「自分が北海道出身と聞いて何かおもいますか」と。
今ならばアイヌ差別などに思い当たりますか、当時は「何も思いませんけど」と答えていました。
無知なことは、ある意味で幸福なのかも知れませんね。
by levin-ae-111 | 2012-05-25 05:25 | Comments(2)