神判「鉄火起請」(タイムスクープハンターより)
2012年 06月 08日
二つの村はもう随分と長きに渡って、沢の水を争っていた。両方ともに昔からの権利を認められていると主張し譲らない。
寺の僧侶の和徳が仲裁に入ったが、遂には「鉄火起請(てっかぎしょう)」と呼ばれる神の判断を仰ぐ裁判へと発展してしまう。
鉄火起請とは、熱した鉄を手の平に載せ、少し離れた所に置いた神前の三宝に載せる。載せられなければ、その主張は認められない。両者ともに載せられないと、より神前に近い方の勝ちである。
それでも決着がつかないと、火傷の状態が酷い方の負けという厳しいものだ。
これは神に審判を委ねるという意味合いで行われる裁判だ。結果がどうなるか、神のみぞ知るという訳である。同様の起請で焼けた鉄の代わりに、熱湯を使用する湯起請も存在した。この例の様に村同士の争いなどで行われる事が多いが、個人的な争いでも行われる場合もあったという。
さて、鉄火起請の立会人(裁判官)として領主から派遣された役人勝村が村に来た。西谷村では代表者として名主が名乗り出ていたが、東原村では勝村を買収しよう金を持って来るが、勝村はこれを撥ね付ける。敗者は処刑されるという厳しいルール、勝っても両手は焼けただれ、身体障害者となる過酷な裁判だ、手心を加えて欲しいという気持ちも分からないでもない。
結局のところ東原村では、村で扶養していた流れ者を米20石という破格の条件で代表者に仕立てあげた。
そして当日、神社の前で木組みをし、勝村たちが持参した鉄が火に入れられた。勝村は鉄火起請の厳しいルールに想うところがあり、公平を期す為に炭など使用する物の一切を自分たちで用意し持参している。
いよいよ神社の前で鉄火起請が開始された。東原村の代表が最初に呼ばれた。真っ赤に焼けた鉄の塊を前に彼は尻ごみし、何度も促されたが結局は鉄を載せられなかった。次は西谷村の名主の番だ。
彼は覚悟を決めて鉄を両手の平に載せて、必死に神前の三宝に走り、遂にそれを載せることに成功した。勝利は西谷村に決した。
その直後、東原村の代表は役人により引き立てられ、近くに張られた幕の中へと連行された。敗者の代表は死罪と決まっている。勝村はこの場で処刑すると言い出した。
幕の影から「覚悟!!」と勝村の声。
少しして、首桶を抱えて役人たちが幕の外へ出てきた。勝村は両方の村人に厳しく告げた。
「これを沢に埋めて、今後の村の境界とせよ」と。沢を越えて東原村側に、その首桶は埋められ、ここに村の境界が確立した。
そして東原村の代表者の首を撥ねられた死体を入れた桶とともに、勝村たちは帰路に着いた。僧侶の和徳も途中まで同行する。
村外れまで来ると、勝村たちは荷車を停めた。そして桶の蓋を外すと、中からは生きた東原村の代表者が出てき勝村は、レポーターに種明かしをしてくれた。
西谷村の代表が成功したのは、余り熱せられていない鉄とすり替えたことや、東原村の代表者を助ける算段などだ。その場で処刑するという苛烈な処置は、代表者の男を無事に逃がす為であった。これらの計画は僧侶の和徳が勝村に持ちかけたのだが、勝村もまたそれを快諾し実現したものだった。
徳川幕府の威光がまだ十分に行き渡らず、法度なども整備されていない空白の時代に、人間として判断を下した勝村と和徳の行いは立派なものであった。しかしその裏には神判などという不確かなものの存在が、発足して間もない徳川幕府にとって邪魔であったという理由も存在したからであった。
この様な残酷な裁判は、洋の東西を問わず昔は様々なかたちで行われていた。西洋の魔女狩りなどは、密告により捕縛し最初から有罪が確定していた様なものであった。
それはさて置き、現在でも何件かの再審請求が出されている様に、私たちの国の裁判では大変な歳月が必要である。再審請求をする様な被告は、それが認められて勝訴しても、失った歳月は戻らない。ただ無実が認められた、長年の闘いに勝てたという満足感や闘争が終わりを告げた安心感だけは手に出来る。
無実を訴え続けながら、長く牢獄につながれている気持ちとは、一体どんなものであろう。
これからも、より慎重でスピーディ且つ正確な裁判が望まれる。人が人を裁く、そういう事態が消滅する時代は果たして到来するのであろうか。
霊的な観点からは、裁く側も裁かれる側にも何某かのカルマ的な作用を生ずる様である。裁判でなくとも、日頃の想いで人を裁くこと私たちは知らぬ間に行っている。
常日頃から自分の想いをチエックし、注意したいものである。
法整備も未だに進んでおらず、この様な残酷な習わしに因る
決着が試みられたのでしょう。
負けた方が死罪って、何だか理不尽な気もしますね。結局、昔
ほど露骨ではないにしても、支配者にとって人の命など余り
眼中にないのかも知れませんね。