巨大な古墳の設計者は?(古代史の舞台裏より)
2012年 06月 20日
大山 (だいせん)古墳がそれで、美しい前方後円墳である。
以前は『仁徳天皇陵』と呼ばれていたが、時代が異なることが判明し、土地の名から現在では大山古墳と呼ばれている。
三重の堀に囲まれ、全長486メートルもあり、底面積ではピラミッドよりも広い。
では、これ程の大規模で美しい古墳を造り上げた当時の日本の土木技術は、一流であったと思われるが誰がこれを設計したのであろうか。
一般的には、この古墳の造営に関わったのは土師氏(はじし)であるとされている。彼らは奈良の豪族であった。
三塚古墳を含めた道明寺一帯を本拠に、古墳の造営や葬送儀礼に関わった一族であろうと考えられている。
奈良、大阪の古墳群の近くや、大古墳の付近には土師という地名が存在し、それは古墳を築くために一族が移り住み、そこからこの地名になったと考えられている。
土師氏は4世紀末から150年ほどの間、古墳の造営を行い朝廷から新たな姓を与えられ、大江、菅原、秋篠氏などに分かれて行ったという。
古代の人々の土木技術のすいを集めた大山古墳は、何世紀も経た現代に到ってもその美しさ、壮大さを私たちに示し続けてくれている。
「マナの壷」をかたちどった物である・・・
という説がありますが、 levin-ae-111 |さんは
いかが思われまして?
この手の説で毎回思うのはこれらの形状って
はるか上から見ないと分からないじゃないですか?
いったい誰がそんな形を見るんだろう?
って 思っちゃうわけですョ。
?!?
それとも、大山 (だいせん)古墳の近くに山があって
そこから形状を知ることができたのでしょうか?
う”〜っ、謎です。
有難うございます(^^
ナスカの地上絵を描くには、原画から拡大して描かれた
ようですから、そういう拡大方を使ったのかも知れません。
マナの壷のかたちは知らないのですが、もうひとつ、バチカン
のサン・ピエトロ大聖堂とその広場の形に似ていると思います。
とにかく、これだけの古墳、大変な技術と思います。
本当に不思議ですね。
ryukyuさん
有難うございます(^^
分かりませんが、不思議な形として私も感じていました。
本当に鍵穴のようですよね。
大地のエネルギーを取りだす鍵とか・・・、通説の方墳と円墳が
合体したというのは、少し違う気がしますね。