軍法会議
2012年 08月 15日
しかし、ここではそれとは別の法廷の話しである。ここで取上げるのは、軍法会議と俗称される自国軍内での犯罪に対する法廷のことである。軍隊はそれ自体で完結しており、あらゆる事柄が世の中から独立している機関である。従って、軍隊内部の法的な措置も例外ではなかった。
太平洋戦争中には、実に多くの軍法会議が開廷されたという。そして多くの場合は、死刑が宣告され味方の手で1万人以上もの兵士が処刑されたという。
特に戦況が悪化した大戦末期には、実に多くの逃亡兵が出て、軍法会議が頻繁に行われたという。NHKの番組では馬場元法務中佐の残した資料から、その実態を探ろうと試みている。馬場東作元中佐は東大を卒業し、司法試験に合格し海軍の法務官になった。
当初、法務官は文官であり軍事法廷に於いて裁判官の一席を占め、武官である他の裁判官へ法的なアドバイスをする役割だった。それが法改正により武官として任官される事になり、馬場氏も最終的には中佐という位になった。
馬場氏は戦後弁護士へと転じ、後には日弁連副会長も勤めた人物であったらしい。
終戦と同時に、本国の軍事裁判に関する資料は焼却され残っていないが、フィリピンで法務官を務めていた馬場氏は自ら記した資料を密かに持ち帰った。
戦況の悪化と供に次第に島の奥へと追い詰められた日本軍は、食料、医薬品、弾薬の欠乏から軍規も乱れ犯罪が相次いだという。
上官殺し、窃盗、逃亡、死体損壊などであったが、中にはろくに法廷も開かれず処刑、もしくは必死の突撃隊として出され死亡した兵士もいた。
処刑された兵士の遺族は、国賊として肩身が狭い思いを強いられた。昭和30年代に遺族年金の手続きを望んだある遺族は、故人が処刑された国賊であるからと手続きを拒まれた。
またある遺族は未だに記録上、犯罪者として処刑された故人の汚名を晴らそうと県庁に掛け合っている。その方の叔父にあたる故人の裁判、処刑に関する記録は一切存在していない。戦時中の処刑されたという報告が、今も生きており県の記録には戦死ではなく刑死として記録されている。叔父の名誉が回復されない限り、戦争は終わっていないと齢80歳近い遺族の方は述べておられた。
ある兵士は食料を探しに行き、部隊を離れた。数日後に連れ戻され、軍法会議の後に処刑された。馬場元中佐の記録では、死刑に値する罪ではなかったが、その兵士が英語が堪能であったばかりに死刑にされたという。
生かしておけば、敵に通じるかも知れないとでも疑ったのだろうか。それにしても番組では当然存在するはずの弁護人について、全く触れられていなかった。日本軍では弁護人の存在なしに裁判が行われたのであろうか。
想像するに狂気の戦場では、恐らく裁判など開くことも無かったのだろう。江戸時代の無礼討ちのごとく、その場で射殺や斬殺された兵士も居たに違いない。
実質的に裁判など行う余裕がないのが実態であったろう。馬場中佐も戦場での兵士の処刑は、これを咎めないという法務官としての見解を各部隊に通達している。
それにしても、味方により殺された兵士の何と多いことか、そして国賊の身内として白眼視された遺族の苦悩も計り知れないものがあったことだろう。
私の祖父は日華事変で没したと聞かされているが、子供の頃に祖父の死について訊ねた私に吐き捨てる様に祖母が言ったことがある。酒を飲んで暴れるから、味方に処刑されたんだよ。
それが果たして本当であるかどうかは分からないが、その言葉には若くして夫に先立たれた祖母の苦しい想いが込められていた事だけは確かだったと思う。
私はもし祖父が本当に処刑されたのであれば、酒乱などではなく無抵抗の中国人を殺すことを拒否したのであろうと思いたい。
会ったこともない祖父に対する私の想いがこうなのだから、自分の息子や夫、恋人や友人が処刑されたと聞かされたならば、どれ程の衝撃と無念な気持ちがこみ上げるか想像も出来ない。
空襲や玉砕、その陰に隠れてはいるが、味方の手に掛かって亡くなった多くの兵士たちの冥福も心から祈りたい。戦争そのものが無ければ、生を全う出来たであろう多くの人々が、生かされていれば世界中でどれほどの偉大な仕事を成し遂げたことだろうか。
それは人類全体の大いなる損失である。
戦争とはそれ程に理不尽で無駄なものであると、改めて心に刻み付けたい。
合掌
生き証人の方々が90歳代という現実に、
衝撃と戸惑いを覚えました。
もはや 戦中 を語る人はほどんどいないのだと。
そして、昨今の領土問題が脳裏をかすめました。
・・・きっとこうして、
また歴史は繰り返されるのかもしれません。
人間とはなぜにこのように無知なのでしょう、
兵器としてのオモチャと戦略、
その殺傷力とずる賢さを増しただけの
有史の二千年間だったとは。
ありがとうございます(^^)
本当に先の大戦から何も学んでいない、日本人も世界の人々も。
これは人間の未熟な精神性に由来するものなのでしょうか。
より多くを殺す、より強力な破壊力を求めた20世紀は、本当に戦争
の世紀でした。そして、20世紀初頭の現在も同じです。
全面戦争はテロとその報復、異常な殺人の多発などに姿を変えた
だけです。このままでは、繰り返されてしまいます。
悲しいかな、私たちはまだ、この程度の発達段階なのですね。