身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

本当に日本人には独自性が無いのか

 私たちが時として耳にした日本人についての特性のひとつに、真似するのは得意だが独自に何かを発明する能力が低いというものがある。それを一言で表現すれば「猿真似」ということであろう。
明治新政府が発足し、当時の列強諸国との交流が始まると、日本は積極的に外国の制度や物を取り入れた。それはもう必死で、諸外国の文物を吸収しようとしたのである。

そして幾多の外国との闘いに勝ち続けたが、先の大戦で遂に一敗地にまみれた。その後にも主アメリカの文物を取り入れながら、遂には経済大国と呼ばれるまでに復興し成長した。
そういう現代にまで至った経緯が、日本人に自らをして独自性のない日本人とまで感じさせるのであろう。
 しかし、この日本人の特性は、何も明治以降の近代に限ったことではない。遥か数千年前の国家として体裁を整える以前から、その特性は発揮されていた。

例えば古代遺跡から出土する「銅鐸」(祭祀用の飾り)は、朝鮮半島からもたらされたと考えられているが、朝鮮半島では日本のように大型化することは無かった。
本来は小さなカウベルのような鳴り物だったろうが、日本ではサイズも用途も全く変わってしまっている。
また仏教も導入された初期は、大陸から僧を呼び大陸のスタイルが守られていたが、中世に至るころには日本独特の仏教へと変化していった。
これらの事例は必ずしも原型が改良されたとは言い難いが、鉄砲などは日本人の手により改良され原型を凌駕するほどになった。

これらの例のように、日本人は原型を取り入れ、それを理解すると大抵の場合は自分達にとって使い良いものに変えてしまった。こういった特性は、立派な独自性と言っても差し支えがないのではなかろうか。
しかし、「結局は真似だろう」との声が聞こえてきそうだが、自国の文物を誇る余りに他を認めないという頑迷な程度こそが恥ずかしいものだと思う。
それよりも素晴しいと認め、それを取り入れて独自性をブレンドし、自らの文物として取り入れ使いこなす智慧と度量の広さに注目すべきである。
これこそが、日本人の独自性と私は思うのである。

 最近注目のボーイング社製の旅客機も、ルーツはアメリカにあるが、その実質的な中味は日本で開発された強靭で軽い素材の存在なしには成し得なかった。この旅客機ボーイング787は、中型ながら機体の軽量化に成功し、大型機なみの航続距離を確保している。
その一号機がANAに納品されたのも、日本の技術が造り上げた飛行機であるからだ。
 話しは違うが、日本人は何もかも闇雲に外国の文物を取り入れたわけではない。反対に取り入れてはみたものの、馴染めずに捨て去られたものもある。
例えば中国の「易姓」などは、王朝の交替を天命として認めている。王朝が腐敗すれば、これを打倒して新たな王朝が立つ、これを「天命」として誇りにするのであるが、日本ではその正反対である。

天皇家は古代から連綿と続く一つの王朝だと主張しているからだ。「易姓」ほど王朝や王権の交替を正当化する便利な道具も無い。例え王権を簒奪したからといって恥じ入る必要もなく、胸を張れるのだから便利この上ない考え方である。
王朝が万世一系だとして、何事につけて言い繕うよりは楽である。本当はどうなのかは分からないが、少なくとも二つの可能性が考えられる。
本当に王朝の交替が無かったか、或いは記紀を編纂した政権に何かの都合があって王朝の交替を否定する必要があったかのどちらかであろう。
このように外国の文物を取り入れなかった正反対の事例ではあるが、これもまた日本人の独自性と言えるのかも知れない。
[PR]
by levin-ae-111 | 2012-08-26 07:13 | Comments(0)