宮大工さんの仕事始め
2013年 01月 09日
狩衣など古風な衣装に身を包んだ棟梁らが、大工の神とされる聖徳太子像に差し金・墨壷・墨刺しの三点の道具を供え、住職らが読経した。そして棟梁がくわ状の斧を気合を込めて木材に打ち込む動作を繰り返して、一年の作業の安全を祈った。
これは新聞の記事なのだが、実はこの寺には確か一昨年くらいに工事を公開するというので訪れていた。ということは、もう数年に渡って工事が続いているという事だ。
新聞によれば、2005年から保存修理の工事を始め、完了するのが2018年の予定となっているらしい。
友人に誘われて出かけたのだったが、いささか落胆した覚えがある。国の重要文化財というので期待していたが、古い建物に特有の巨大な梁や柱以外に珍しいものが無かったからだ。
その時は寺の建物を解体している最中で、屋根が持ち上げられ建物の中が見渡せる状態だった。取り除かれた古材には番号や部材の名前が記されていたが、特に感動するという様な趣は感じなかった。興ざめしたのは、柱に現代の釘が打ってあったのを見た時だった。
そして狭い足場の長い階段を登る人の列に続いて行くと、屋根を支える猿の像があるというだけで、特に感動もなし。猿の彫刻も私の町にある古刹の彫刻とは比較にならない貧弱なものだった。
実はこの寺は、あの大友家持が赴任していた越中国の国府があった場所に建てられているのだという伝承がある。堀を巡らせた入り口の門付近は、少しそれらしい風情があった。
戦国時代には一向一揆の拠点として、戦国武将を悩ませた寺でもある。
何にしろ、歴史と伝統は認められている寺である。古式ゆかしい儀式は、今年一年の工事の安全を祈って行われたということだ。