療養の日々
2013年 03月 19日
鬱と診断されて会社に診断書を提出して休みに入ってから、まだ2日しか経過していない。土曜日から休みだから実質は4日目である。
診断受けたのはもう二週間も前で、薬の服用は今日で10日以上になる。
加藤諦三さん著の『心の休ませ方』という本を買った。この本は鬱になる人の心理を解説したものだが、いわく「子供の頃に愛情を十分に受けられなかった人が鬱や燃え尽き症候群などに陥り易い」「愛情不足故に、心が成長していない」的なことが延々と書いてある。
兎に角、認めたくない部分も多いが「貴方は休んでよいのだ」という一節だけが、少し納得できた。まだ肝心の結論までは読んでいない。
余りに自分に批判的に感じられる記述が続いているので、実際途中で嫌気が差したこともある。
しかし「自分は今まで何か、やりたい事を持って生きて来ただろうか?」そう考えた時に、自分自身にそう問うた時に何も答えられない自分に気がついた。
加藤氏の本には、その答えが無いのが鬱に成る人だとも書いてある。確かに、その点は加藤氏の主張する通りであろう。
ただ目前に出現する題を必死でクリアして来た、夢を持っていなくともその時々で誠実に精一杯に生きてきた、少なくともそれだけは言えると思っている。
では「私は何をやりたいのか?」やってみたい職業はあるが、それは到底無理な事でしかない。まだ残雪が所何処に残る家の近くの公園を散歩しながら、私は漠然と考えた。
暖かく成りつつあるが山の中腹を切り開いて造られた公園は、まだ植物たちも冬の眠りから覚めていない。
冬枯れの公演は淋しいが、それでも日の光が降り注いでいる、その中を歩くのは気持ちが良い。
ゆっくりと歩きながら、先述した「自分は何がしたいのか?」について、自分の心の中を探ってみた。ふと、そう言えば高校生時代に自分の進路について「お前は、何処の大学を受ける積りだ」という担任教師の言葉に「文学部へ行きたい」と答えたのを思い出した。
「文学部へ行ってどうする?」
「新聞記者に成りたいのです」
この私の答えに担任教師は否定的だった。「それ以外では?」
「じゃあ、コンピューターの専門学校へ行きたいと思います」と、私。
「駄目だ、駄目だ、そんな所を出ても就職先など無いぞ!!」
結局私は、愚にもつかない経済学部へ入り、何ひとつ身に付けることなく卒業した。
そして私の若い時代に、コンピューターは大きく飛躍し、コンピューター関連の技術を持った人々は大いに繁栄した。
そういう事々を思い出しながら、時には親や担任教師を恨んだ事もあった。そして、そういう恨みの気持ちが私の中に鬱々と積り、心理の底に張り付いている事に気付いた。
頭の中では「全ては自らが選んだ道だ」と分かってはいても、知らず知らずの内にそういう心底に降り積もり、凝り固まった後悔の念や恨みというものに振り回されていたのかも知れないと想った。
昔懐かしい『みぞれ玉』という粗目の砂糖でコーティングされた大きな飴玉を口に含み、そのストレートな甘さと、暖かい日差しに癒されながら公演のベンチに座り、そんな事を考えたのだった。
嫉妬から押し付けてきたのか、展望がないから却下してきたのか、自信ない(若いから当たり前)のを見透かされたのか、今となっては知りようもなければ、後悔しても取り戻せないですよね。
仕事に差し戻すようで申し訳ないですが、品管って不具合対策の色んな角度考える役割ですよね
現場やら営業やらが、それは○○が知ってるんでなんて体よく押し付けてきやすい部課でもあります。
製造品目増えすぎて、全てを掌握してくれる人がいてないのが、諸悪の根源でもあるのでしょうが。
ありがとうございます(^^)
仕事は仰るとおりですね。それも営業だけでなく、工場内からも。私ともう一人に集中する訳で、私が病気になる以前は私に
集中していましたから、これで8年も持ったとは我ながら大した
ものだと思います。前任の課長さんは、2年でダウンでした。
まともに取り合う必要のない事柄まで、私に廻して来るのは、
やはり知識不足だと思いますが、その私も知識不足で(笑)
担任教師にすれば、時代が早すぎて苦労した以前の生徒の
二の舞をさせたくなかったのでしょう。そして自分の肩の荷を
降ろすことを優先させて、安全なコースを推奨したに過ぎない
と思っています。先生という職業の人を、過信した弊害ですね。
今なら分かりますが、子供にとって先生は偉大な大人でしたが
社会人となった眼から見れば、寧ろ幼稚に見えます。
彼らも仕事に悩むサラリーマンに過ぎなかったのですよ(笑)