日本の駆逐艦②『千鳥』型
2013年 04月 19日
そこで水雷艇という名目で600トンの船体に、強力な武装を施した小型駆逐艦を建造した。
その武装は12.7センチ砲(単装)3門、53.3センチ連装魚雷発射管2基を装備した。
しかし小さな船体に重い兵器を無理に搭載したために、当然のごとくバランスの悪いものになってしまった。
千鳥、真鶴、友鶴、初雁の4隻が建造されたが、友鶴は竣工直後の昭和9年3月12日五島列島の東方で転覆事故を起している。それは、竣工から僅かに一月後のことだった。
この事故を踏まえて、このシリーズの武装は後に変更され、魚雷発射管は1基に減らされている。4隻の姉妹艦のうち3隻が戦没し、4番艦の初雁は終戦時にも健在であったが解体処分されている。
排水量772トン、全長(水線長)73メートル、水線幅7.3メートルというコンパクトなサイズの駆逐艦であった。
さて去年か一昨年のことだが、私は現代の水雷艇とも言えるミサイル艇の見学に出かけたことがある。連装ミサイル発射筒2基、大砲は76ミリ単装速射砲1門、12.7ミリ機関銃2基だけであった。排水量は200トンで、推進器はスクリューではなく水を噴出して進み、速力は40ノットだったと記憶している。前長50.1メートル、全幅8.4メートルと千鳥型駆逐艦よりも更に小さい。
ブリッジはとても狭く6畳ほどだったし、通路も非常に狭く階段など1人しか通れなかった。定員は21名で2002年頃から就航したはずである。
小さな船で大海原へ乗り出す気持ちはどんなであろうか、高速走行している時など揺れも半端ではないだろう。
今も昔も小艦艇の兵たちの艦内生活は、決して快適ではないだろう。しかし現代のミサイル艇は21名であるが、千鳥型駆逐艦では120名もの人が乗り込んでいた。
狭い艦内で必死に戦い、武運つたなく船が被弾すれば脱出する事も儘成らないであろう。
今日も訓練に励んだであろう海上自衛隊ミサイル艇の、ラッパ手が聞かせてくれた見事なラッパの音色を思い出した。
写真は「千鳥」とミサイル艇「うみたか」