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by levin-ae-111
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『打て!大正テニスガール』タイムスクープハンターより

 大正時代になるとテニスが日本へ入ってきた。明治政府がスポーツ普及の為に『体操伝習所』を設立し、体操教師の育成を始めた。この新しいスポーツ『テニス』は、その伝習所の教師坪井玄道の教え子により次第に普及していった。
今回の物語の舞台は、長野県の新設女学校である。大正時代に女学校へ通う女子の割合は約9パーセントとで、就学率は決して高くない。
その新設校へ赴任したのが坪井の下で学んだ、1人の女性陶山千代である。彼女はテニス部を創設するが、部員はたったの2名しか集まらない。
加えて古株の女性教師が率いる薙刀部が幅を利かせ、練習場所にも苦慮していた。
古来より続く薙刀に比べて、テニスは女性の運動に対する偏見も重なって、世間的に評価されてはいなかったのだ。

 そんな折に廃部の話しが持ち上がり、これを回避するには次の試合での勝利が絶対条件という状況に追い込まれてしまう。二人の部員とともに練習に励もうとするが、用具が紛失していてボールさえない。当時は高価な硬式球ではなく、安価なゴムボールを使用した軟式テニスである。
部員の一人が父親に買ってもらったボールを使い体育館で練習を始めるが、間もなく薙刀部の古株顧問がこれを見咎めて、貴重なボールを窓から林の中へ投げ捨ててしまう。
ボールを捜しに林へ入った3人が見たのは、壁打ちの練習をする農家の娘の姿だった。声を掛けると娘は逃げてしまったが、そこには紛失した用具がのこされていた。

 そして瞬く間に試合当日となったが、1人が怪我をしてしまいテニス部は大ピンチ。当時の試合はダブルス戦で、このままでは試合もせずに廃部が決定してしまう。
その時、千代の頭に浮んだのは用具を盗んで壁打ちをしていた農家の娘のことだった。
3人は彼女を捕まえ説得して、身代わりとして試合に出場させることに成功する。サトは負傷しながらも大健闘する。途中、負傷の手当てをしている時にサトの父親が怒鳴り込んで来たが、どうにか頼み込んで試合は続けられた。
試合は接戦となったが、千代たちのチームが辛勝しテニス部は廃部の危機を免れた。しかし相変らず学校では練習場所がなかった。

そんな折、サトの父親が農地の一部を提供し、練習場所を提供してくれた。娘の溌剌としたテニスの試合を見て、頑固な父親も嬉かったのだろう。
数年後、部員は増え、農家の娘サトもテニスの指導員として学校に雇用されたという。
相変らずのハッピーエンドだが、リアルさを追求しながらも、その点を忘れないストーリーはとても良いと思う。
明治から大正という時代に活躍した女性アスリートの中に、人見絹恵さんという岡山県が誇る日本最初のオリンピックメダリストがいた。彼女は世界を相手に、素晴しい業績を残した陸上選手である。
その人見絹恵さんもまた、偏見と戦いながら少女時代にはテニスに夢中だったという。
誰しもが生まれながらに持っている何某かの才能を、十分に発揮できなかった時代にあって偏見や妨害と闘いながら頑張った人々の存在を忘れてはいけないと感じた。
by levin-ae-111 | 2013-04-28 09:55 | Comments(0)