身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

日本の駆逐艦(4) 『白露型』

a0160407_716373.jpg
 昭和5年(1930年)に締結されたロンドン軍縮条約は、その後の日本海軍の艦艇建造計画に大きな影を落とし続けていた。日本は建艦計画の大幅な修正を余技なくされ、多くのしわ寄せが駆逐艦という小型艦艇の性能向上を目指すという状況を生んでいった。
この『白露型』は条約内でより強力な駆逐艦の建造を目指した『初春型』が失敗に終わり、その設計を改めて建造されたものである。
『白露型』はネームシップである白露を一番艦に、時雨、村雨、夕立、春雨、五月雨、海風、山風、江風、涼風の計10隻が建造され、全艦が戦没している。

本型の場合は重量軽減を目的として、主砲はそれ以前の高角砲(仰角77度)から55度のものに改められ、対空能力は低下している。
『白露型』
排水量:1658トン/水線長:107.5メートル/水線幅:9.9メートル
出 力:42000馬力/速 度:34ノット/乗 員:226名
武装 主砲:12.7センチ連装砲×1基 12.7センチ単装砲×1基 40ミリ単装機銃×2
61センチ4連装魚雷発射管×2

白露が竣工したのは昭和11年8月20日であったが、『吹雪型』で全面的に採用された電気溶接も採用されていたが、吹雪型の初春と夕霧が荒天下で船体が断裂するという事態が発生した。この船体断裂という由々しき事態の原因を電気溶接に求めたため、白露型では要所には鋲を使用している。
しかし『初春型』と本型で小さな船体での実用的な駆逐艦の建造は、技術的にも限界があるという現実を見せ付けられたのである。

『初春型』では1400トンの船体に重武装を施したが、バランスが狂いトップヘビーの傾向が最初から存在し、結局は大改造が必要となった。同様にトップヘビーだった『千鳥型』の一隻は転覆事故を起している。
 条約の範囲内で出来るだけ強力な装備を施した艦を模索し続けていた訳だが、魚雷が主武器であった駆逐艦には戦場で活躍する機会は多くはなかった。
魚雷の走破距離は長くても10000メートル程度であり、距離を長くすれば速度が落ちるし、速度を上げれば走破距離が短くなる。
相手が巡洋艦以上のサイズになると、魚雷の射程外から敵の砲撃を浴びることになる。
そこで魚雷のサイズを大きくしたりしたのだが、それでも事態は変わらなかったようだ。

太平洋戦争に突入すると、駆逐艦は本来の水雷艇を駆逐するという任務よりも、艦隊や船団の護衛という任務に多用された。そして艦隊戦から航空機が主役となった太平洋戦争では、対空装備が絶対に必要であり本型をはじめとする日本の駆逐艦には、この能力が低いものが多いと感じさせられる。

写真は『時雨』
[PR]
by levin-ae-111 | 2013-05-11 07:19 | Comments(0)