生きるという事
2013年 07月 07日
細かい文字などは見えないらしく、十分に明るい場所でないと物が観にくいといいます。
友人が自殺を図った理由とは、自分の生きる意味を見失ったからです。これと言った使命を感じる訳でもなく、ただ過ぎてゆく日々に耐えかねたのです。
以前はビジネスの世界でバリバリに仕事をこなしていた人ですが、精神世界に触れてブログを始め、自費出版ながら数冊の本も出した人です。
その人が生きる意味が解らない、生きる目的も解らないと言うのです。自殺が未遂に終わり、奥様には酷く責められたのですが、二人の息子さんたちは、何気なく流してくれたそうです。
私は『シルバーバーチの霊訓』を粗々に説明し、生きる目的やその意味、自殺した人がどうなるかを伝え詳しくはネットで検索すれば読める事を伝えました。
さて今日も宗教の話や宝石の役割、政治、一般社会など話は多岐に及びました。私の場合は無知なので飽くまで自分の経験や身の回りに起こった出来事を元にしての話になります。
私は最近の会社での出来事を話ました。
何時もヘマばかりのU君は、遂に部署替えになりました。しかし変わった部署でも仕事の覚えが悪く、ラインの同僚には数日で見限られてしまいました。
私も同じラインで仕事をしましたが、確かに覚えが悪く、仕事の流れが滞ることもしばしばでした。私の見る限りU君は一生懸命なのですが、要領が悪く単純な事柄でも考え過ぎるきらいがあります。それで空回りをしているのです。
作業について私なりに単純明快に説明するのですが、どうも理解がいまひとつです。他の人は怒鳴ったりバカにしたりしています。休憩中にU君の事を同僚たちが話していましたが、「それで、Hさんは怒らなかった?」と一人が問い、「いいや、全然」と一人が答えています。ちなみにHさんとは私のことです。
怒りたくはありましたが、自分自身の若かりし頃の仕事ぶりを思い、U君の気持ちを思うと無暗に怒りをぶつけても意味がありません。
気長に成長を待つしかない、勿論、自分に分かる事であれば問われれば全力で答えよう、それが私の気持ちです。
人は失敗の中から学んで成長するものですし、以前の自分を正しく振り返れば誰しも一つや二つの似た様な経験があるに違いないのです。私の場合も仕事の手が遅く「マイペースな奴」と先輩たちから思われていました。ですが、誰も私をバカにしませんでしたし、問えば教えてくれました。有難い事にそういう大らかさの有った職場でしたから、現在の私につながる基礎が育まれたのだと思います。
無論、私自身も努力をしました。先輩たちの仕事のやり方を盗み見し、どうすれば少しでも早く正確に仕事が出来るのかを工夫もしました。
人生においては誰にでもそういう時期は確実に存在するのです。また何事にも、これで極めたという事はなく、生きている限りは常に学びの連続であると思っていますから怒りに任せて叱り飛ばすなどできません。
自殺を図った友人はその事を忘れていたのでしょう。そして大した後遺症もなく生かされた事に感謝すべきなのです。友人の奥様もただ責めるのではなく、何故に夫が自殺をしようとしたのか?と、考えてみるべきなのです。自殺は悪い事、仕事が出来ないのは悪い事、と言うのは簡単です。立場が変われば自分も一転して努力していてもダメな人の烙印を押されかねません。
相手の心境を少しでも慮る事を世の中の人々が自然に行うならば、現代の様な病んだ世間には成らないと思うのです。
人は何のために生まれて来るのか?何故に苦しみながらでも生き続ける必要があるのか?そういう疑問を持ったのは20代半ば頃だったと思います。
霊的な回答は、シルバーバーチを始めとして多くの方々が語っていますので私ごときが言うべき事ではないと思います。
ただ感じるのはお互いがもう少しだけ、相手の立場を考えてみる、相手の事を自分の身に当てて思ってみる、それだけで物事に対する私達の反応も自ずと異なり、世界は大きく変わるに違いないという事だけです。