身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

江戸の民事裁判『公事師』(タイムスクープハンター)

 江戸時代には貨幣の流通も進み、それに伴い金銭トラブルも多くなっていた。借りた金を踏み倒すなど、お金にまつわる犯罪も増加していたのである。
江戸の裁判には吟味物筋(ぎんみものすじ)(刑事裁判)と公事(くじ)出入筋(でいりすじ)(民事裁判)の二種類があり、民事に関する裁判などの手続きを訴訟人に代わって代行する公事師(くじし)と呼ばれる職業の人々が存在していた。現代の職業にすれば、弁護士または司法書士といったところであろうか。
訴訟には手続きその他を含めて多くの時間が必要で、公事師は地方から訴訟の為に江戸に出て来た人々の宿泊施設も経営している者もいた。
それが公事(くじ)宿(やど)という訴訟人専用の宿であり、人々は長い間その宿に宿泊して裁可を待たねばならなかった。物語はその公事師に密着している。

 公事宿『田丸屋』を経営する勘(かん)三郎(ざぶろう)は公事師である。トラブルが多発していた江戸時代のこと、勘三郎の田丸屋は大忙しである。しかし右腕と頼むもう一人の公事師が病気に倒れ、新しい公事師を雇うことにした。そこへ新しい公事師正吉が着任した。
正吉は若く正義感が強い。正吉は子供の頃に鮮やかに境界争いを解決した公事師の活躍を目の当たりにし、あこがれて公事師と成ったのである。
正吉が最初に助手として裁判にかかわったのは、常陸の国から出て来て半年もの長きにわたり田丸屋に滞在している長次とぬいの夫婦の一件であった。江戸の商人にお金を貸して、踏み倒されたのである。貸金(かしきん)返還(へんかん)請求(せいきゅう)訴訟(そしょう)である。同種の訴えは3万件以上にも及んだというが、如何に多くのトラブルが発生していたかが分かる。
しかしようやく奉行所から呼び出しがあり、判決が下る日がやって来た。
夫婦はお白洲に行かず、勘三郎は正吉とともに判決を聞いた。全面勝訴!夫婦が貸した50両は全額返還を命じられ、公事師の二人は近くの飲食店で相手から50両の返還を受けた。

 ところが勘三郎は奉行所からの書類を書き写し、金額を50両から5両へ書き換えると原本を破り捨ててしまった。驚く正吉に「これは人助けではなく、商いだ」と悪びれもせずに言い放つ。尚も食い下がる正吉に、これが業界の常識だと突き放す師勘三郎だった。
僅か5両しか戻らないと夫婦に告げ、これでも上々の結果だと夫婦を無理に納得させた。
見かねた正吉は勘三郎の留守に帳簿を調べ、夫婦に真実を告げてお金を全額返すと宣言する。
その方法とはお金を盗むのではなく、駕籠訴(かごそ)と呼ばれる非常手段に出るというものだ。
駕籠訴とは偉い人に直訴することで、合法とは言えず下手をすれば捕えられてしまう、本当に命がけの訴えなのである。

 その正吉たちの思惑が勘三郎に露見し、三人はピンチに陥る。田丸屋の部屋で言い争い、勘三郎は強欲でいけ高々な正体を露わにして強面で手代と共に三人に迫る。
そこへ乱入して来たのは他の宿泊者たち。
「道理でおかしいと思った。逗留を長引かせようとするのが見え見えだったからなぁ」と怒り心頭の面持ちで部屋に乱入してきたのだ。
部屋はたちまち騒乱状態になり、その隙に正吉たちは脱出に成功する。
通常であれば駕籠訴は取り上げられないのだが、公事師の犯罪となれば勘定奉行も看過できなかったのであろう。正吉の訴えは受理され、裁判への道が開かれたのである。
宿の無い3人は訴訟手続きから裁可が下る数日間を野宿して待つことになった。
数日後、奉行所の白洲に勘三郎と正吉、長次とぬいの姿があった。

裁可(判決)が読み上げられる。判決文で勘三郎の所業は不届き千万と断罪され、長次夫妻への全額返還が命じられた。全面勝訴である。
翌日、満面の笑みで故郷へと帰る長次とぬいを見送った正吉は、江戸に残るという。正吉の行為は公事師の業界から睨まれ、容易には公事師としての活動が出来ないだろう。
だが正吉は頑張り、後には公事宿の経営者となり、困った人々を助け続けたという。

 法律の知識を利用しての悪徳行為をする弁護士は現在も存在するが、それは弁護士だけに限らない。各業界で密かに結ばれる各種の協定、特殊な慣習などは他者に不利益をもたらそうとも意に介さない。自分さえ、自分たちさえ良ければという考えは、一体感を損ね人類全体の存亡に関わる問題にまで成っている。
現代では国家間対立の問題がイデオロギーの対立ですらなくなり、資源確保やその独占あるいは富の搾取へと変化している(より露骨になっただけかも知れないが)。
この傾向は人間が進歩するどころか退化しているのではないか?と思わせる。
ここに古くからなんら変わらない人間の性が見えるが、私達はいつに成ったらこの忌まわしく醜い性質から解放されるのであろうか。
少なくともこの忌まわしく醜い獣性が消滅に近い程度まで薄められるまで、本当の意味での人類の進化発達など不可能であろう。
[PR]
by levin-ae-111 | 2013-07-20 10:13 | Comments(0)