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戦国時代はバツイチ女性が大人気

日本女性は貞淑であるという伝統的なイメージは、江戸時代になり儒教などの影響により作り出されたものだった。いわゆる『三従の教え』(少女期には親に、嫁いでからは夫や姑に、老いては子に従う)という女性に対する縛りは、戦国時代には存在していなかった。
戦国時代の女性たちは自由闊達に生きていたらしい。夫が無能となれば、サッサと別れて別の有能な男を探したというのだ。
戦国時代の離婚は、別れたい方から男女問わずに別れ話を切り出す事が出来たようだ。

 宣教師のルイス・フロイスの記録によれば、「日本の女性は処女の純潔を少しも重んじていない。それを欠いても名誉を失わなければ結婚もできる。また夫婦はいつでも離婚できるし、妻は離婚後、自由に結婚できる」と著書の中で書いているらしい。
ヨーロッパではフリーセックスは禁止(特にキリスト教圏で)されていたのに対し、日本では夜這いが日常的に行われていた。

 江戸時代以前の日本では美女ともなれば、不甲斐ない夫を捨てて頼り甲斐のある男性に乗り換え、よりよい生活へとステップアップして行ったようだ。男性の方でも美女が離婚したと知ると、放っておかず積極的に動いて正妻や愛妾に迎えたという。
この時代、領主ともなれば正妻とは政略結婚が多く、側室には自分が本当に好きな女性を置いていたとされる。
有名なのは柴田勝家と信長の妹「お市の方」の結婚であろう。勝家は市に惚れていたが、市は政略結婚で浅井長政に嫁いでしまった。しかし長政が滅ぼされると、勝家はすぐさま市を貰い受けた。無論、戦国一の美女と謳われた市の美貌もあったろうが、主君である信長の妹(異説では愛妾とも)であった事も大きな理由の一つであったに違いない。

 他にも主君の愛妾を貰い受けた斎藤道三の例もあるという。戦国時代の武将は見栄っ張りで功名心が強かったので、位や官位の高いバツイチの女性に異常な憧れを抱いたようだ。
甚だしい場合には、女性を巡っての武将の争いもあったらしい。
それにしても、戦国時代の男女関係は、私達が思っていたよりも自由で情熱的だった様だ。
否それは自由とか情熱的というより、現代人よりも本能的であったという方が正解かも知れない。
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by levin-ae-111 | 2013-07-27 23:05 | Comments(0)