フランチェッツォの霊界通信③
2014年 01月 04日
Q4地獄とか天国は本当に存在するのでしょうか?
A:フランチェッツォによれば、地獄も天国も存在することに成っています。地獄は地球の地中に在るのではなく、地面と重なる様にして存在している様です。
そこは光の少ない暗い世界で、最低の階層では漆黒の闇なのだそうです。そこでは亡者たちが、お互いの存在も知らずに苦しみながら蠢いているのです。
反対に天国に近いほど光があふれ、明るくて自由であり、色鮮やかな世界が広がっているというのです。天国の高い階層は地球から遠くに存在していて、地球に近いほど低層階なのだそうです
しかし肝心なことは地獄も天国も誰かが強制的に行かせるのではない、という事です。
死後の世界は死者の意識状態が反映された世界であり、意識が変われば周囲の状況も変わるというのが死者の世界である様です。
つまり意識状態に最も相応しい状況が、死者の認識する世界と成る訳です。それは残酷な様ですが、逆に意識が向上すればそれに合わせて良い世界へ行けるという意味でもあります。
意識により構築される世界は、千差万別ですから死者の赴く世界は厳密には死者の数だけ存在するという事になりますが、似通った意識の死者たちが一緒に生活している大きな町も存在している様です。
Q5無宗教の人が死ぬとどうなる?
宗教を信じている人は『地獄』や『天国』の存在を肯定していたり、よく言い聞かされていたりしますから、死後はある意味で行き場所を持っています。しかし死後の存在を否定していたり、死後の話しに無縁だった人はどうなのでしょうか。何処へも行けずに彷徨う、そういう事に成るのでしょうか。
A:フランチェッツォは生前、宗教というものを否定していました。彼の生まれたヨーロッパはキリスト教徒が一般的でしたが、余りに腐敗したキリスト教を見ていた彼がそれを否定したとしても無理は有りません。当然、死後に自分が存在するとも考えていませんでした。
この本では熱心な宗教者が集まっている場所もありますが、少し高い世界では、どうやら宗教の違い、或は宗教を信じる信じないとは無関係の様です。
というのも、フランチェッツォのあの世での指導霊アーリンジマンは、何と拝火教徒(ゾロアスター教)だったからです。
大切なことは宗教の違いや信心の有無ではなく、魂の不滅や良心に従って生きる事の大切さをどう認識し、信じているかという問題の様です。
Q6死後の生活はこの世とは違うのか?
A:死後に私達が存在するとして、その生活はどうなのか?という疑問は、私達にとって非常に興味があるところです。古代の人々は魂の死後を考えて、様々な副葬品をお墓に入れて死者が生前と同じ生活を営める様にしようとしました。
例えば、始皇帝の墓とされる場所には、数多くの兵や馬が副葬品として埋められ、死後の皇帝が生前と変わらぬ大軍団を持つ様にしました。
フランチェッツォの場合は生前には貴族として何不自由ない生活を送り、華やかな社交界で美男子として持て囃されていた訳です。しかし、死後に最初に行った場所は、華やかさの欠片も無い薄暗く、寂しい場所でした。
そこは石造りの建物で暗い長い廊下が続き、小さな部屋が幾つも並ぶ、そういう場所でした。そこは言わば霊界の学校の様な場所で、質素な食事と講義の毎日だったそうです。
そこを卒業した彼は、少しだけ明るい世界へ行き、霊界で初めて自分の家を与えられました。
生前の邸宅とは比べものに成らない小屋の様な家でしたが、彼の心は喜びで満たされたそうです。後には『日の国』と呼ばれる更に明るい世界で、部屋が七つもある大きな家を貰った時には感激で「自分にはもったいない」とまで思ったそうです。
このフランチェッツォの霊界での生活の変転は、彼自身が『悟り』について学び、精神的に高い次元へとステップアップする都度、より良い生活へと変わって行ったのです。
この事からでも、私達の精神的な状態が死後の世界で如何に重要に成るかが解ります。霊界での大原則は全て自由というのですが、その原則に従って「各自の願いや欲望が向かうところへ行く様に成っています」とは、フランチェッツォを霊界へ連れて行った威厳に溢れた霊の言葉であるそうです。
つまり地獄へ行くも天国へ向かうも、死者の願いや欲望に因るというのです。よく言われる事ではありますが、この世界での物欲も名誉欲も必要以上に求め過ぎてはいけないのかも知れません。というのはフランチェッツォが旅した霊界の各層では、そういう事柄に染まった人々の哀れな姿を目撃したからです。
死後の事を考えると、あの世の事を今から学んでおく必要がありそうです。すなわち生ある内に自らの生き方をチェックし、より良い生き方を模索する事が大切なのです。