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by levin-ae-111
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零戦は名機だったか?

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 中国大陸で苦戦を続けていた中攻(96式陸攻)の護衛機として、空母に搭載される以前にデビューした零戦は敵機を圧倒してみせた。当時、日本海軍の主力戦闘機は96式艦上戦闘機で、爆撃機の護衛には足が短く(航続距離が短く)十分に護衛の任務を果たせなかった。
日本海軍最初の全金属製の96式陸攻も、中国軍戦闘機の迎撃に苦戦し、犠牲が多かった。
性能的には96式艦上戦闘機も敵機に劣らなかったが、爆撃行に同行できないのでは如何ともし難い。

 そこで海軍が三菱に出した新戦闘機のガイドラインは第一義に航続距離が長く、援護戦闘機として敵戦闘機よりも優秀な空戦性能を備えている事だった。そんな要求に応えた結果として、1000馬力に満たない非力なエンジンを積み、翼面積が広く軽量化された戦闘機が出来上がった。
目論み通りに旋回性能は素晴らしく、20mm機関砲2門、7.7mm機関砲2門は当時では重武装であったし、スピードもまずまずであった。それが後に一般に零戦と呼ばれる機体である。試作機の性能に満足した海軍は、正式採用以前に大陸へこれを送り込んだ。
それでも大陸でのデビューは華々しいものだった。零戦の部隊は連戦連勝を記録し、おおよそだが1機で敵を4~5機撃墜するという素晴らしいスコアを収めたのである。

太平洋戦争に突入してからも、抜群の旋回性能で敵を翻弄した。しかし、それもミッドウェー海戦までのことだった。ミッドウェー作戦と同時に敢行されたアリューシャン列島攻略作戦で、敵弾を受けた一機がアクタン島への不時着を試みた。
仲間たちの見守る中、その機は草原と思しき場所へと不時着した。だが不運にもそこは草原ではなく湿地帯だった。零戦は脚を取られてひっくり返ってしまう。
乗員は死亡、機体はほぼ無傷であった。その機体が後にアメリカ軍の手に入り、徹底的に分析された。結果、零戦は丸裸にされ、その長所も短所もアメリカ軍に知られてしまう。

 零戦は高度3000メートル以上では、性能が低下する。防弾装備がされていない。急降下に弱いなどなどの欠点が明らかにされてしまった。
アメリカ軍の対零戦対策は万全で、追われたら急降下して逃げる。絶対に格闘戦はせず、ヒット&アウェーで戦うなどがそれである。更に零戦に対抗すべく零戦より速く、零戦より頑丈で重武装で防御力も高い新型戦闘機をリリース(グラマンF6F)する。
ミッドウェーではCAP(母艦護衛戦闘機)が、低空で来襲する雷撃機に引き摺られ高度を落とした所で急降下爆撃機に痛撃を蒙った。

その時、肝心の護衛戦闘機(零戦)は低高度にあり、4000メートル上空から突っ込んで来る爆撃機に対処できなかった。また知らせ様にも雑音が多く、モールスを受信するのがやっとの脆弱な無線では、零戦パイロットたちには伝わらない。
しかし例え伝わったとしても、上昇力の弱い零戦では間に合わなかっただろう。
実際には投弾を終えて離脱体制に入った敵機を追撃するのが精いっぱいだ。
更に坂井三郎氏の証言では、20mmは命中率が悪く、坂井氏は7.7mm機銃で敵機のパイロットを狙って撃っていたという。また別のパイロットの証言には、零戦の飛行時間は4時間程度だったが、燃料よりも20mm機銃弾の弾数が少なく、CAPはその補給で度々着艦せねば成らなかったらしい。

太平洋戦争の後半で、零戦は非力なエンジンによるパワーとスピードの不足、命中率の悪い機関銃、高々度での著しい性能低下、搭乗員の技量不足(ベテランの多くが戦死したから)などの何重もの問題を抱えて苦戦が続いた。
アメリカ戦闘機のスピードとパワー、強力な重武装に圧倒され続け、多くの青年たちが零戦に乗って闘い死んで逝った。ミッドウェー海戦より後には、さしもの零戦も次第に時代遅れの飛行機に成っていった。
最後は特攻機としての悲しい運命を辿った。重い爆弾を抱え、未熟なパイロットが操縦する零戦はスピードも機動も鈍く、アメリカ軍の戦闘機にとっては恰好の獲物だった。

ただ確かに戦争の初め頃には、素晴らしい戦闘機だったことは確かだ。戦争初期は確かに名機だった。だが反面で大陸での圧倒的なスコアが零戦の改善を遅らせ、次世代戦闘機の開発を遅らせたのである。
次期艦上戦闘機の開発を任されたのは、96式艦上戦闘機、12試艦上戦闘機(零戦)を手掛けた堀越二郎であった。しかしその堀越も度重なる零戦の改善と、軍部の身勝手で無理な要求に悩まされ続けた。結局は後継機の開発は間に合わず、老朽化した零戦は最後まで闘い続けねば成らなかった悲しい運命を背負わされた名機であった。
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by levin-ae-111 | 2014-03-18 21:42 | Comments(0)