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ダコタ物語と日本人の気質

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 以前にもこの映画について、というか僅かばかりのご縁が有ったことを書きました。祖父母の家がロケ場所の候補に挙がっていたからであったが、残念ながら管理をしてくれている親戚の方が断ってしまったのでした。

母は幼い頃に地元の浜に英軍輸送機が不時着した事を覚えていましたし、映画に出て来る比嘉愛未さんが演じる千代子さんの実家の旅館でアルバイトをしたこともあるそうです。

そして一昨日、ネットで注文した母待望のDVDが届きました。

母はDVDのパッケージに書いてある細かな文字までルーペを使って読み、当時の事を語ります。

 

 佐渡に降りたダコタはイギリス軍の輸送機で、かつてはマウント・バッテン将軍も専用機として愛用したとか。ダコタというのは固有名詞ではなく、アメリカからイギリスへ供与された輸送機(C-47)のイギリスでの総称です。非常に優秀な飛行機で、後には民用旅客機(DC-3)として活躍しました。

終戦間もない昭和21年の冬、佐渡の人々は飛行機の爆音に怯え驚き、訝りました。それは上海から東京へ向かう途中、嵐に遭遇しエンジントラブルを起こした一機のダコタでした。

これは終戦から半年も経たない時の出来事ですから、浜に降りた飛行機とその乗員たちを敵視する島民も居たことでしょう。

 

 だが島の人々は村長を中心にダコタの乗員たちを労い、村人総出で浜に500メートルの滑走路を建設し、ダコタを送り出したのです。

40日間の乗員たちと村人の交流や、ダコタを焼こうとした兵学校出身者の未遂事件などを絡めつつ、物語はダコタが再び空に舞い上がるまでを描いたものでした。

戦争に行った息子の帰りを待ちわびる母は、息子の戦死を知り死のうとするのですが、ダコタの乗員に救われます。周囲の人に励まされながらこの母親の絶望の淵に立ちながらも、イギリス兵の無事帰還を祈る姿は、世界共通の母親の強さと優しさを表していると思います。

 

監督は戦争の悲劇を女性(母・妻・娘)の視点から訴えたかったといいます。撮影に当たっては、スクラップ同然に成って残されていた本物のDC-3を分解して、佐渡の浜まで運び組立直したのです。意外なことに、現在ではダコタの物語を知る人は佐渡にも殆ど居ないそうです。監督は千代子さんのモデルとなった女性や、当時のことを知る人に話しを聞くために何度も佐渡に通いました。

さて付録の画像で主演女優、比嘉愛未さんのインタヴューがありましたが、佐渡の人々が温かいというお話しがありました。厳しい寒さの中での撮影は、とても大変だった様です。

佐渡は昔から天皇や聖、そして罪人までも受け入れて来た流刑地でした。冬は大陸からの寒気が上空を覆い、積雪は少ないものの寒さは相当に厳しい地です。

そんな中で佐渡の人々は、来島した者を受け入れ慈しんで来たという歴史があります。

私の中にも佐渡人の血が半分流れているのですが、何十年振りに訪れても親戚の皆さんは大歓迎してくれます。13年前に祖母の葬儀で佐渡に行った時など、赤ん坊の頃しか会っていない叔母さんは、私たち兄弟を全て誰であるかを言い当てました。そのことには本当に驚いたのですが、それが佐渡の人の気質なのでしょう。

 

日本人とは、本当はそういう民族なのかも知れません。戦時中も身の危険を省みず、敵艦の乗員を救助した話しや、命令に反してまでビザを発給し続けた領事、その後のユダヤ人の避難を助けた船員、貧しい暮らし振りながらも遭難したトルコ戦艦の乗員を献身的に介護した漁村の人々、そういうエピソードが幾つもあります。

 そういう気質は、台湾や朝鮮などの占領地で発揮されました。西洋の植民地政策は、徹底的に植民地から搾取するだけでしたが、日本人の支配地域では違いました。

平等な民政が施行され、国内と同等の教育、インフラの整備、住民の権利保護や現地文化の復興などが積極的に行われました。

戦前は台湾からも甲子園大会にチームが出場していました。嘉儀農林がそのチームですが、甲子園大会では準優勝の栄誉に輝いています。本当に戦前までの日本人は、立派だったのです。慈しみ深く、思慮深い国民性は、私たちが受け継ぐべき良い民族的な資質なのです。


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by levin-ae-111 | 2014-04-05 13:16 | Comments(0)