清少納言と枕草子、1 (歴史秘話ヒストリアより)
2014年 04月 09日


清少納言といえば『枕草子』が余りにも有名です。その内容とは三分の一程が日記風に日々の出来事が書かれ、その他の部分にはファッションやスイーツ、それから旅行や恋の話しが記されているらしいのです。内容的には現代のブログかエッセーの様な内容だといいます。そう聞くと何だか軽い感じがしますが、そこには平安時代の宮廷女官という、当時の最先端を行く女性たちの生活や感覚が伺われる貴重な作品なのです。
女性たちが興味を持っていたのはファッションとスイーツ、そして恋に夢中だった様子が描かれていて、現代も1000年前も変わらない女心が見て取れます。
例えばファッションについて、十二単の色の組み合わせを季節に応じて変化させる、そういうことを襲(かさね)と言い、それがお洒落でした。それは十二単の上着でなく、襲がよく見える袖口や裾の部分の色合いを楽しむものでした。
十二単は単衣と呼ばれる肌着の上に、袿(うちき)と呼ばれる色物の着物を重ね着し、上着と唐衣を羽織って後ろに引き摺る裳(も)をつけて完成でした。
但し十二単といっても、納言の時代には着る枚数は決まっていなかったらしく、着る着物の枚数は自由だったようです。
当時の宮中の女性たちにとって、袿(うちき)の色を季節に合わせて変化さるのがお洒落だったのです。それらの色の組み合わせには、『さくら』『かいねり』『すおう』『あい』『しろ』などと呼ばれる季節ごとのバリエーションがあり、どれも綺麗だと納言は書いています。
例えば『春』は薄く透けた白い衣の下に紅花で数段階に染めたピンクのグラーションで桜を表現したりしていました。これが平安女性のときめくファッションでした。
さてスイーツは、何といってもかき氷でした。砕いた氷に甘葛(あまづら)を掛けて、食べていました。それはとても高級で、恐らくは庶民には縁が無かったに違いありません。
氷は氷室に保管してあった氷で、郊外の寒さ厳しい山間の村から宮中へと届けられていました。蜜となる甘葛(あまづら)ですが、甘い植物の樹液を集め煮詰めて作られていました。
植物の枝を短く切り、それを口にくわえて、強く吹いて樹液を採取する大変な作業が必要だった様です。
また面白い出来事には、毎年1月15日に健康を祈ってお粥を食べる習慣がありました。
粥を焚く時に粥を掻きまわす棒(粥杖)で腰を叩くと、子宝に恵まれるという言い伝えがあり、独身だった宮中の女性たちは粥杖で腰を叩かれない様に用心しました。
しかし、その日は無礼講とされていたために、お姫様でも用心が必要でした。背後から忍び寄って腰を叩かれるという出来事が頻発しました。叩かれた本人は大慌てですが、周囲の人々には大うけでした。
この様に女性らしい話題が満載の『枕草子』ですが、これが書かれた背景には清少納言と主人の定子に起こった悲しい出来事があったのです。
つづく