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by levin-ae-111
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宮下文書の謎-6-

 冨士高天原は私がイメージする様な国ではなかった様だ。というのも、どうやら当時の人々は火山噴火で出来た溶岩流の跡、溶岩トンネルに居住していたらしいからだ。
その根拠は富士山麓に到着した人々が、縦32キロ、横12キロの原野を三つに区分して大室、中室、小室と名付けそこで集落生活を営んだとあるからだ。
この室をムレ(朝鮮語の邑または村)と解釈することも可能だが、しかし富士山麓の地形を考慮に入れると室はやはり穴居住宅とみるべきだろう。
冨士山麓には古代から幾度もの噴火により、溶岩流が冷却されて多数の洞穴が形成されている。その辺りは現代も同様だが、岩や木の根がゴロゴロしている地表よりも、溶岩トンネルに住む方が自然に思える。

 他にもイザナギとイザナミの時代は平和で、一洞一沢にそれぞれ頭(長)を置き、洞頭、沢頭の制度を設けたとある。洞は字義どおり洞穴であり、溶岩トンネルに違いない。
だとすれば大室とは大規模な洞穴、中室は中くらいの洞穴であり、小規模な洞穴は小室と解釈できる。または、大中小は人々の集団を、つまり大集団、小集団、個人などを表したのかも知れない。
この室を古代に一般的だと思われる竪穴式住居と考えられなくもないが、洞となると竪穴式住居とは思えない。
高天原で元始神を祭ったとされる『小室沢穴居の里の穴宮』も、溶岩トンネルに設けられた聖域と考えられるのである。
更に山麓(高天原)には合計二十一ヵ所もの『穴宮』が造営され、歴代の神皇をはじめ諸神(高位の人々)が住まわれたとする記録もあるという。

この様に宮下文書の『室』や『穴』や『洞』を読んでいけば、記紀に出てくる賊兵が集合した忍坂の大室屋や、神武の子の手研耳の命(タギシミミ)が殺されたという片丘の大室のように、天然の溶岩トンネルに人手を加えたものだったことが予想される。
この時代には多くの地下集落から成る地底王国が富士山麓に存在しただろうが、それらは後の時代にも繰り返された富士の噴火で全て埋もれてしまったのだろう。
by levin-ae-111 | 2014-08-01 05:44 | Comments(0)