私の神様考-1-
2015年 11月 03日
私たちは洋の東西を問わず、実に多くの神様を祭っている。この日本だけでも『八百万の神』(やおよろずのかみ)と称される程に多くの神様が祭られている。
『八百万の神』とは800万柱の神という意味ではない。余談だがブロ友Kさんのお師匠様A氏とお会いした時のこと。
「この地球に神様がたった800万しか居ないというのは変だろう。そんな少ない筈はない」といきなり言われた。その時は意味が解らず、ただ相槌を打っていたが後にその意味が解った。それは毎日の私の祈り方に対する指摘だったのだろう。
私は祈りの時に「宇宙の神々様、八百万の神々様・・・」という祈り方をしていた。無論のことそれは多くの神々様という意味で使っていたのだが、ご指摘を受けて改めた。
さて私たちの世界ではキリスト教やユダヤ教、イスラム教の様な唯一絶対神を信仰する世界観と、日本の神道や仏教の様に多数の神仏を信仰対象とする世界観が存在する。
大まかにではあるが、前者は主に自然環境の厳しい地域で発生し、後者は自然の恩恵豊かな地域で発生したといえるかも知れない。
厳しい生活環境に身を置いて生きねば成らなかった人々には、自分たちを守ってくれる、或は生活の指針を明確に示してくれる絶対的な存在が必要だったのだろう。
対して東南アジアや日本の様な自然豊かな環境では、自然の恩恵に感謝しその中に神を見出すのは当然の成り行きだ。従って何事にも神秘の存在を感じ、多くの神々が生まれた。
一般的に認識されている神様は、人格を持った人格神である。これは唯一神を信仰する世界においても、多神教の世界においても同様である。
古代世界ではシャーマンを通して神々は人間と話しをする、様々な事柄について指示をしてくれるそんな存在であった。絶対的な力と知恵を持ちながら、時には怒り時には喜ぶそんな神々である。しかし、それは現象に対する人間心の投影であったのかも知れないと考える。
だが他方においては、真実その様な人間的な感情を持った神々が存在していた(している)可能性も十分に在るとも感じる。
『神様とは何か?』という疑問に対する考察は、果て無いカオスの迷路に迷い込む様なものだし、時として罰当たりな表現をするかも知れないが、頑張ってチャレンジしてみたい。
次回のエントリーを楽しみにしております。
「かみさま」の定義ってとっても
ややこしいですよネっ!?!