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by levin-ae-111
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私の神様考-3-

 私たち日本人は外国の人々に比べて信仰心が薄い印象があるが、果してそうなのだろうか?自分は無神論者で特に信仰している宗派は無いという人でも、初詣に出掛けるだろうし、仏式の葬儀に参列し、キリスト教やケルトの行事も楽しむであろう。
私たち日本人は『多神教』の民族だから、どの宗教の神様を拝むのも自由と言ってしまえばそれまでだが、ではその『多神教』のルーツは何処に在るのだろう。

日本人の信仰の原点は何れにあるのかと考えるとき、本居宣長が述べている様に「世のつねならず、すぐれたる徳のありてかしこきもの」という表現が適切だろう。
「すぐれたるもの」は物事の程度の激しいことを、「徳」とは働きを指しているという。つまり神とは善悪の枠を超え、人知の及ばない力を発揮するもの、偉大で恐ろしい反面、豊穣な実りをもたらしてくれるもの、即ち大自然である。

古代人はその様な自然の中に人知の及ばぬ神秘の力を見出し、それを恐れつつも祭りあげる事により恩恵を与えてくれる自然の優しい面にも目を向けたのであろう。それが今風にはアミニズムというべき信仰のはしりであり、多神教の始まりであろう。
学者の中には日本の信仰の原点を縄文時代に求めている人もいる。それを知るために、アイヌの信仰を調査したのは久保田展弘氏であるという。

アイヌの人々にとって日常と非日常の境目は薄く、常に神と共にあって神は人と同様に喜び、悲しみ、怒る存在であった。『霊』はこの世とあの世を往復し、誰にも『憑神』(つきがみ)が寄り添っていた。神=カムイは太陽、月、星、海、山、川、樹木、動物などあらゆるものに宿ると信じられていた。(関裕二著・神社が語る古代12氏族の正体より)
このアイヌの人々の信仰は現在に続く神道にも多くの影響を与えており、知らぬ間に私たち現代人の意識の底に沁み込んでいる。
長年使った物を捨てる時、無意識に「ありがとう」と礼を言ったり、針供養をはじめとする物に対する供養は単に感謝の表れではない。全てに神が宿るという、古代から日本人の無意識の底に張り付いた信仰心の現れである、と私は思う。

 現代でも耳にする『守護霊』や『背後霊』といった心霊用語は、誰にでも憑神が居るというアイヌ的な信仰に一致する。また憑神はあの世とこの世を何度も往復するという考えなどは、私が子供の頃に聞かされた「両肩に仏様がいて、悪事や良い事をした時に報告にあの世へ飛んで行く」などの素朴な云い伝えもアイヌの信仰による影響かも知れない。
私たち日本人は空に海に山に、野生動物や植物に更には日常生活に使用する道具にも神あるいは霊が宿ると信じる、実は誠に信仰心に溢れる民族なのである。
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by levin-ae-111 | 2015-11-05 05:26 | Comments(0)