ネタ無しなので下手な小説を書いてみました
2017年 04月 08日
架空戦記・孤独の空
1黄昏
一人の老人が田舎町の病院で人生のたそがれ時を迎えつつあった。頑健な身体に光に溢れた力強い眼差しを持った青年だった日々は既に遠く、今は家族に見守られながら病院のベッドで最期の時を待つ身である。
集まった親族たちの多くは既に諦めているのか、誰も涙を見せていない。これで何度目かになる医師の『今日がヤマ』という宣言がある度に親族たちは病室に駆けつけたが、その都度ベッドに横たわる枯れ枝の様な老人は持ちこたえていたから、そのせいもあろう。
「今度も大丈夫じゃネェ」と孫の一人が言うと、何人かは頷く。
「そうだな、何しろ危ないと言われて何度も大丈夫だったからなぁ。簡単に死ぬ様な爺様じゃあないさ」と誰かが応じた。
「それにしても、朝から晩まで田圃や畑に出ていて何が楽しかったのかなぁ。この便利な世の中にさぁ、機械も使わずに野良仕事ばかりの人生って、私ならゴメンだわ」と高校生に成った孫娘が祖父の人生を否定する様に言った。
「そんなことはないよ!お爺ちゃんは昔、世界一の飛行機零戦の操縦士だったんだ」
息子の一郎が少し語気を強めて反論した。
若かりし頃この老人は焼け付く南の海から凍て付く北の海まで、旧帝国海軍軍人の誇りを胸に幾度も遠征を繰り返したらしい。
『らしい』というのは、老人が若い頃のことを殆ど語らなかったからだ。それは息子に対しても例外でなく、父親が海軍の飛行機乗りだったという事実を聞いたのは先年に他界した母親からだった。それは一郎がまだ小学生の頃だった。
その折に一郎は母親に言ったものだ。
「どうして父さんは話してくれないの?僕、しりたいなぁ。零戦のパイロットって、恰好良いのに」
少し不満そうに怪訝な顔をする息子に、母親は優しく微笑んで諭す様に言った。
「そうねぇ、恰好良いわね。でもね、それで沢山のお友達やお知り合いの人が亡くなっているのよ。お父さんにとってはねぇ、とても辛い思い出なのよ」
そのとき子供ながらも寡黙で優しくて大きい父親の誰にも話したくない、胸の奥に抱えたやり場の無い悲しみを感じたことを覚えている。
そんな周囲の状況とは無関係に、意識が無い筈の老人が突然に布団を跳ね上げ、骨と皮ばかりになった腕を虚空に突き揚げた。一同がギョッとして、成す術もなく見守る中、老人の指が鈍く開かれては閉じられた。その動作は何度かゆっくりとくりかえされている。
その手は何かを掴もうとしてもがいている様にも見えるが、単なる反射なのかも知れないとも思える。
深いしわの刻まれた顔は両目をカッと見開き、その視線は虚しく宙を彷徨っている。しかし暫くすると両眼は静かに閉じられ、細い腕は力なく落ちる様に下ろされた。
そうして老人は最後に大きく一呼吸すると、今度こそ永遠の眠りについた。
最後に開かれた眼で何を見たのか、その表情は安らかで見様によっては微笑んでいるかに見えた。
老人はかつて帝国海軍中尉で、戦闘乗りだったと聞く。幾度も死線を掻い潜り今日まで生き延びてきたのであった。その命の灯が今、静かに燃え尽きたのだ。
死の間際に老人が何を見たのか誰にも分らない。混濁した意識の中で老人が見たのは若かりし頃に見た光景だったのかも知れない。
2空戦
昭和十七年六月ミッドウェーでの敗戦から帝国海軍の戦況は芳しくない。それまでは「戦えば必ず勝つ」という高揚した常勝ムードが海軍全体に満ちていたのだが、昭和十八年半ばにもなると戦闘による被害も急増し、重苦しい空気が前線各部隊に漂っていた。
折田四朗中尉が配属されていたのは所謂『護衛空母』と呼ばれる1万トンクラスの小型空母であった。
真珠湾攻撃の時にも護衛空母勤務であり、飛行学生の同期の多くが華々しい実戦デビューを飾ったのとは対照的に出番は無かった。
今は空母『瑞鳳』の戦闘機隊長を務める彼には、20名ほどの部下がいる。瑞宝飛行隊の隊長は艦上攻撃機の隊長でもある葛原輔大尉で、海軍兵学校では一期上の人物だ。
二人は年齢も一歳しか違わず兵学校時代から顔見知りで、折田が瑞鳳に着任すると葛原は皆を集め盛大な宴を催して大歓迎してくれたものだ。
戦局が優勢に運んでいる内は護衛空母である瑞鳳が艦隊航空戦力の要として扱われることは無かったが、ミッドウェーで主力の正規空母四隻と多くのベテラン搭乗員を失うと俄かに瑞鳳の様な小型空母にも光が当たり始めた。
瑞鳳は真珠湾攻撃の折には内地に在って、他の艦船と共に桂島の泊地を出て太平洋を南下し小笠原諸島周辺海域まで航海し警戒任務に就いていた。
この頃に瑞鳳が失った戦力は事故による97式艦上攻撃機一機だけであった。後には南方への航空機輸送任務につきこれを成功させている。
ミッドウェーの時には零戦の不足もあり瑞鳳は零戦6機と96式艦戦6機、97艦攻9機という少し変わった編成で警戒任務に従事した。
その後には一転してアリューシャン列島、アッツ島など北方戦線へ投入されたが会敵の機会は無く搭乗員たちは索敵、警戒の任に従事するしかなかった。
珊瑚海海戦で姉妹艦『祥鳳』が失われる中、瑞鳳は健在であったが、未だに瑞鳳航空隊に敵攻撃のチャンスは訪れなかった。
昭和十七年八月日本軍がガダルカナル島に築いた飛行場を突如として米軍が急襲し、これを奪取した。
敵の反攻は十八年以降と予測していた日本軍は、完全に虚を突かれ600名余りの工兵隊と守備隊は全滅した。その後に日本軍は慌ててこれを取り戻しに掛かる。だが日本軍の予想に反して米軍守備隊は強力であった。緒戦は精強で鳴らす支隊も最初の突撃で大打撃を受けて、ほぼ全滅した。以来数次に渡る彼我の攻防戦が繰り広げられ、ガダルカナル島奪還の兵力として瑞鳳も投入された。
いよいよ瑞鳳飛行隊が本格的な働きを見せる時が来たのである。
遂に敵機動部隊撃滅を目指して瑞鳳は97艦攻6機と零戦9機を出撃させた。瑞鶴、翔鶴、瑞鳳の艦載機から成る攻撃隊が発進し、艦隊上空で鮮やかに編隊を組む。艦攻、艦爆、艦戦からなる計62機の攻撃隊を指揮するのは、歴戦の勇士、村田少佐である。
敵機動部隊に向かう途中で、日米両軍の攻撃隊は期せずしてすれ違った。
この時瑞鳳隊の零戦9機を指揮していた折田は、反転して米軍機へ向かう。部下の各機もそれに倣って反転。
それに気づいた総指揮官の村田少佐はチッと舌打ちし「馬鹿が」と顔をしかめたが、もうどう仕様もない。
折田をはじめ瑞鳳隊の搭乗員は瑞鶴、翔鶴の搭乗員と比して実戦経験が少ない。敵機を目前にして血気にはやる気持ちは解るし、機動部隊を守りたいという気持ちも十分に理解は出来る。だが9機もの零戦がここで脱落すれば味方の艦攻や艦爆の被害が確実に増える。
62機の攻撃隊にあって、それは攻撃の成否にも関わる重大な出来事であったが、若い折田にはそこまで考える余裕が無かった。
相手はF4Fヘルキャットに守られたドーントレスとアベンジャーだった。折田たちが一撃をかける以前にF4Fも反転して向かって来る。
その付近の空域はたちまちにして修羅場と化した。最初に彼我の戦闘機が交錯した瞬間、早くも数機が煙と炎を吐きながら落ちていく。戦闘は乱戦に成った。
孤を描いて相手の後ろを取ろうとする零戦に対し、F4Fはそれに乗らず直線的に攻めかかる。零戦が急旋回でそれをかわすと、F4Fはそのまま突進し一旦は零戦と距離を取り、上昇あるいは下降して戦闘空域に戻って来る。この頃になると米軍は零戦との巴戦(孤を描いて互いの後方に付く戦法)は避け、一撃離脱へと戦法を変えていた。
零戦を間近に捉えるとF4Fの12.7mm機銃6門が唸る。機銃一基あたり毎分7~800発の機銃弾の雨が必死の回避を試みる零戦を包む。深緑色の翼や胴体に次々と被弾して一瞬で空中爆発する零戦。
他方ではエレベーターに被弾して操縦不能に陥り、クルクルと回転しながら墜落していくF4Fがある。
そんな死闘の中で折田もまた死力を尽くして戦った。若い折田には部下を気遣う余裕も無い。荒い息遣いで喉は渇き、度重なる急激なGフォースの変化で手足は痺れ、視界は朦朧として、高鳴る鼓動で心臓が口から飛び出しそうだ。
敵に後ろを取られ、曳光弾の混じった敵弾が愛機の周辺を飛び交う。折田は機を横滑りさせたりジグザグに飛んだりと、どうにか敵機の軸線を逸らして逃げる。
何度かガン、ガンと機体に敵弾を喰らった衝撃を感じたが、幸いにして致命傷ではないらしく愛機は異常なく折田の操縦に正常に反応してくれている。
それにしても相手はしつこい。左右の旋回、下降して捻り込み、急上昇と昔から教えられた回避運動を試みてもF4Fは離れない。相変わらず曳光弾の小さな火球が煙の尾を引いて空間を切り裂きながら、機体をかすめて飛び去って行く。
それが離れたのは、味方の一機が折田を狙う敵機を阻止してくれたからだ。しかし乱戦の中で彼我の被害状況も定かではなく、誰が助けてくれたのかも分からない。
無我夢中で空戦を終えた時には、すでに彼我の機影は付近に無く折田は機位を見失っていた。
3帰投
一応は無線で呼び掛けてみたが、そんな物は最初からあてにしていない。当時の零戦に積まれていた無線機は雑音が酷く、到底使い物に成らない代物だった。
折田は操縦桿を両腿に挟んで固定すると、まずお茶を取り出して喉を潤した。次に海図を取り出して大よその母艦(空母瑞鳳)との会合予定海域を確認する。
何時もならば味方の艦攻か艦爆が居て、それと一緒に飛ぶ。従って帰投するコースに迷うことはない。しかし今は単機だ。
目印の島を探しながら海図で自機の位置を確認する。
この時に成って初めて折田は自らの軽率な行動を悔やんだ。味方は敵艦隊に辿り着いただろうか、葛原大尉たちは直援機が減って苦戦しているのではないか、部下たちはどうなったのだろうか。
自分は敵戦と戦ったが雷撃機や艦爆を取り逃がしてしまった、それでは意味が無いのではないか・・・等々の想いが脳裏を巡り折田を苦しめた。
そんな想いとは裏腹に単調な発動機の音と白い雲とその影を映す凪いだ南の海が、戦争中だということを忘れそうにさせる。
それを現実に引き戻したのは少ない燃料と機銃弾の残量であった。空中戦の激しい機動で燃料消費が多く、目盛は既に一目盛という有様だ。機銃弾は恐らく後2~3秒も撃てば20mmも7.7mmも尽きるだろう。つまりどちらも一度バリバリッと発砲すれば、それで終わりという数だ。
単機という心細さに加え果たして会合地点に正しく向かっているのか確信がないという不安、それから燃料、弾薬などの残量を気にしつつ母艦を探さねば成らない。発動機は可能な限り回転数を絞り、プロペラピッチも燃費重視の側へと切り替えた。
楽園を思わせる南の海で幸いにして晴天であるから、見晴らしは良い。折田は予測される方向に目を凝らして母艦を探した。だが見つからない。
もしかしたら先程の敵に沈められたのか、しかしどの方向を見渡しても黒煙が立ち昇る様子はない。
母艦は敵から逃れる為にスコールの中にでも隠れたのかも知れない。遥か遠くに周囲とは異なる黒くどんよりとした雲があった。しかし、そうは思ってもスコールらしい雨雲の方向は予め示されている会合予定海域とは余りに異なった方向であった。
折田はスコールの方向には行かない決断をし、コースをそのままに飛び続けた。行く手には少し雲量が多くなりつつある。
雲を避けつつ少し高度を落し更に母艦を探し続けていると、進行方向状の彼方に陽光を反射してキラキラと光る物が幾つも見える。
「味方の第二次攻撃隊か」と一瞬考えたが、念の為にその編隊より高度を下げてすれ違うことにした。
速度の遅いレシプロ機とはいえ相対しているので、彼我の距離は視る間に接近する。間もなくその編隊とすれ違った。
折田は顔を上げて頭上を通過する編隊を見上げた。銀色の翼に標されていたのはアメリカのマーク、その正体は日本艦隊を攻撃して帰投する途上の敵機の編隊だった。
「やはり母艦はやられたのか」独り言を思わず呟くと、ここから折田の葛藤が始まる。
このまま母艦を見つけられなければ海ポチャだ。どうせなら敵の中に突入し一機でも多く道連れにして散るか。それに母艦はもう沈んでいるかも知れない、そうなれば海ポチャは必至であり、それは犬死だ。ならば突撃あるのみと決意した刹那、何者かの声がそれを遮った。
「逃げろ、ここで数機の敵を墜しても戦局に何の変わりもない、それに母艦は健在かも知れない。現にやられたなら煙くらいは見える筈だ、そして敵がこちらから来たとなれば自分の向かっている方角は正しい」不思議な声は、折田の頭の中に響いてきた。それが彼の決意を鈍らせた。結局、折田は敵に発見されない様に海面近くまで高度を下げてやり過した。
逃げると決めたら不思議なもので、「こんなに高度を下げたら燃費が悪くなるなぁ」などと現金な考えも浮かんで来る。敵編隊が遠ざかると、徐々に高度を上げて母艦を探す。
しかし飛んでも飛んでも母艦は見つからない。するとまた「海ポチャか、やはりさっきの敵に突っ込めば良かった・・・」後悔の念が頭をもたげて来る。
もうどれくらい母艦を探して飛んだだろう。燃料は既に尽きかけていた。行く手にまた雲塊があった。
折田は雲の下を潜る為に高度を下げた。雲の下に出た刹那、彼の眼に飛び込んで来た光景は、頼もしく白波を蹴立てて航行する瑞鳳の姿だった。その雄姿を見ると胸中に安堵の気持ちが拡がった。
折田は二度、三度と翼を振ると、脚を出し瑞鳳の直上を一航過した。
無事に着艦した折田は攻撃隊の帰還を待っていたが、葛原大尉以下の艦攻は1機のみ帰還、零戦も無事帰還を果たしたのは折田を含め3機だけだった。
しかも帰還した艦攻1機と零戦2機は瑞鳳を発見できず、瑞鶴に収容された。この戦闘で瑞鳳航空隊は手痛い被害を蒙り、その数は半減するという結果になった。
この海戦の後、折田は地上基地勤務となりそこで終戦を迎えている。瑞鳳は後に実施された作戦で米軍の急降下爆撃に晒され、数発の命中弾を受けて沈没した。
あとがき
もう十年以上も以前の事ですが、私(作者)は寝入り端に真っ暗な空間で上下左右あらゆる方向に振り回され、急停止や急発進する都度、強烈な衝撃を感じて苦しむという夢とも現実ともつかない現象に連夜悩まされていました。それがこのストーリーの元となった夢を見て、その衝撃がGフォースかも知れないと気づいてから不思議と現象が治まったのでした。
さて、このストーリーは、作者が夢で見た光景の前後にフィクションを加えたものです。
実際に見た夢は南海の洋上を単機で母艦を探す零戦搭乗員の姿でした。妙にリアルで機体には被弾による幾つかの穴がありました。そんな状況で果たして零戦が本当に正常に飛行出来たのかは不明ですが、弾痕は右後方胴体部と垂直尾翼の中央辺りにありました。
夢の中でも燃料、弾薬ともに乏しく敵編隊を発見した時はどうするか非常に迷いました。結局は回避して母艦に戻るという内容でしたが、夢での搭乗員の考えは敵編隊に突撃するという方向で固まりつつありました。
そこで私(作者)が何故か夢に関与し「逃げろ、生きて帰れ。今更何機か落しても戦局には無関係だぞ」とメッセージを送ったのです。
その結果として搭乗員は敵編隊を回避するという決断をしました。夢ですから搭乗員の気持ちが手に取るように、否、自らの考えとして理解できました。
何か不思議な話しですが、先述した様にこのストーリーの背後には少しばかりの作者の実体験があります。
・・・ふと思いました。
臨死体験でタイムスリップをした、
木内鶴彦さんのの『危ない!と声
これと同じだよねェ〜 って。
スピ系好きな人は、
この記憶をリインカーネーションと呼ぶのでしょう・・・ネっ。
*>夢で見た・・・
もちろん覚えております です!
前世の記憶かも・・・とは思いませんけど、不思議なのは
カッコよい零戦ではなくて、やられたなぁという感じの
ストーリーだったことですね。
友人は誰かの体験に入り込んでだのでは?とか言っていました。
と言うのも、その後で見たのはレーサー目線のレース体験だったからです。しかも近代的なレースカーでしたから、前世には
無いだろうと思ったからです。でもパラレルワールドだったら
有り得るかも、とか考えたり結局は分かりませんね。