古墳の正体
2019年 03月 24日
日本で見られる古代遺跡の一種に『古墳』と呼ばれる遺跡が存在する。その多くは九州から西日本にかけて発見されており、最大のものは『仁徳天皇陵』とか大仙(陵)古墳と呼ばれている巨大な前方後円墳である。周囲に堀を巡らせた巨大な古墳であり、正に天皇の墓と呼ぶに相応しい威容を誇っている。その周辺には小規模な古墳が点在しており、何れも誰の陵墓なのか分からない。
しかし古墳とは本当に権力者の陵墓として造営されたものなのだろうか。近年、エジプトのピラミッドが奴隷を使役して造営されたものではなく、公共事業として造営されたとする説もある。ならば日本に於いても同様なことが行われていても不思議はない。
小名木善行氏の説によれば正にそれであり、しかも古墳自体の造営が目的ではなかった。古墳の正体、それは田の開墾により出た残土置き場であったという。
雑木林や荒れ地を開墾し、水を引く為に水路を掘る。そうなれば大量の残土が出る。それを一か所に集めて積み上げ、土砂崩れを防ぐために形を整え堀を巡らせたというのだ。
そして古墳の発生から隆盛期を過ぎ衰退して遂には造営されることがなくなった理由については、開墾事業が進展し水路が十分に確保されると残土は船で運搬され堤防工事や埋め立てに使われるようになり残土置き場は不要になったのだとか。
開墾事業は食料の増産に繋がり民に慕われた大君(天皇)は、その業績の象徴たる巨大な残土の山の頂上に葬られたのだと小名木氏は言う。
考えてみれば民をムチ打って巨大な古墳を造営させるなど愚の骨頂である。何年にも及ぶ大事業で、その間はいったい誰が食料を生産したのか。そして、為政者がその様に横暴な支配を続けたなら、必ず反乱が起こり王朝は打倒されたに違いない。しかし現実は古墳の頂上に葬られた。開墾された田で働く民が巨大な盛土を眺めつつ、亡き大君を偲んでいたのだろう。
大仙陵古墳