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by levin-ae-111
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架空戦記・迎撃機『震電』


1.誕生

 昭和196月、新型迎撃戦闘機の開発を進めていた海軍は、遂に試作機を完成させた。

その機体は従来とは異なり、推進力を生み出すエンジンとプロペラが機体の後方にあった。

エンテ型と呼ばれるそのスタイルは、推進効率も良く武装もより多くを望める画期的なスタイルである。

しかし欠点も多く、特に離着陸の際には神経を使う。前輪の主軸はそのスタイル故に長くなり破損する可能性が高いし、機体後部が重いために下手をすると地面にプロペラが接触してしまう。だから引き起こし角度や、接地の角度に十分に注意しなければならない。

 鶴田正敬(つるたまさよし)は、仕上がったたばかりの試作機第1号の操縦席に座り、フーッとひとつ大きく息を吐いた。鶴田はこれを設計し、これから自らの手で試験飛行を行おうとしている。

整備員たちの手で格納庫から出された試作機は、滑走路の隅へと押されていく。自重3.5トンの機体は、あっさりと動き出し間もなく滑走路の端に位置した。

鶴田は、右手の親指に力を込めてスターターのスイッチを押した。軽い振動の後、エンジンは唸りを上げて始動した。暖気運転は既に終えている。

「よし、行くぞ」

鶴田はゆっくりとスロットルを開けていく。エンジンの唸りが高まり、機体は動き始めた。

「離陸の速度に留意、引き上げを焦るな。機体が十分に浮いてからでも遅くない」

鶴田は速度計を睨みながら、徐々にフラップを下げていく。機体の振動とふらつきは少々多いようだ、フットバーを機体の向く方向と反対に蹴って進路を修正する。

「振動、少し多い。但し、滑走に支障なし」無線で報告しながら、機体を操る。

スピードが上がると鶴田は意を決し、スロットルをグイッと開けた。

機体は滑走速度を速め、振動はより大きくなる。しかし暫くするとガタガタと激しかった振動が、フッと消えた。機体が浮いたのだ。少し右に流れたが、すぐに修正する。

「まだ・・・、もう少し我慢だ」

鶴田は自分に言い聞かせながら、目視で高度を確認する。デザインの関係で十八試戦の主翼は操縦席からは十分に視認できない。その代わり、機首付近にある小さなカナード翼を目印にして地上の目標物から機体の体勢を確認する。

そのカナード翼の先端が、滑走路脇に設置してある吹流しを越えた。脚を格納する。

軽い機械音がして脚が格納され、脚が出ている事を示す赤ランプが消えた。

鶴田はそれと同時に操縦桿を手前に引いた。スロットルは全開だ。

すると十八試戦は思いも掛けない急角度で、空へと駆け上って行く。零戦などとは異次元の上昇角度と速度だ。高度計の長針が勢い良く回転し、みるみる高度が上がって行くのが確認できる。Gもキツイ。

十八試戦は急角度で上昇し、何と翼端から飛行機雲を引いた。

飛行予定高度の3千メートルに達するのに、離陸から僅かに2分足らずを要しただけだ。

鶴田はそこで水平飛行、緩降下、左右の旋回、巡航速度での直線飛行など様々なテストを実施して、30分ほどで基地上空に戻った。

 今度は着陸だが、これが離陸以上に難しい。機首を上げ過ぎるとプロペラが地面を叩いてしまう。しかも機体の後方が重い分、どうしても機首は上がり気味になる。

零戦よりも着陸速度は速いが前輪の脚は長く一本しかないから、従来の機体よりも衝撃に対して脆弱だ。

鶴田は慎重に高度を落として行く。イメージとしては機体を地面と平行に下ろす感じ。

同じ三点着陸でも、他の機体とは全く違うデリケートな操作が必要だった。

鶴田は手順の全てをイメージと供に頭に叩き込んでいたが、しかし実際の着陸は少し違ったものになった。

接地の瞬間に思いのほか機首が上がり、地上で見守っていた人々は肝を冷やした。思わず顔を手や帽子で覆った人々もいた。

鶴田のイメージと異なり、現実の着陸ではプロペラが地面を叩く寸前の状態で主脚が接地し、機首が大きく持ち上がった。

その次にはドスンと機首を地面に叩きつける様にして、機首の脚が接地した。

幸いにも機首部の脚はその衝撃に耐え、どうにか鶴田は無事に帰還できた。

「肝が冷えましたよ、ご無事で何よりでした」

整備班長の長沼中尉が、乗ってきた自転車を放り出すようにしてやって来て、安堵の溜息をついている鶴田に話し掛けた。

「ありがとう。しかしこれでは、使い物にならんなぁ」

鶴田の言葉に長沼は黙って頷いた。

「次は機首に機関砲を積みましょう。30ミリ砲を二門ほど積めば、重量バランスも取れるかと思います」

 長沼の提案を入れて、翌日には30ミリ機関砲を二門機首に取り付ける事になった。それから垂直尾翼の代わりに主翼に取り付けてある2枚の翼の下に、小さな車輪を設置した。

改造が終わると鶴田は連日の様に飛行テストを繰り返した。

離着陸の難しさは相変らずだったが、空中での性能は申し分なかった。速度、上昇力、運動性能どれも良好な結果を示した十八試戦闘機は、二号機と供に厳しいテストが繰り返し実施された。その結果、昭和205月には正式に量産の許可が下りた。

海軍局地戦闘機震電の誕生であった。

 2.初陣

昭和20年に入ると、アメリカの超重爆B-29による本土爆撃が本格化し始めた。

B-29は連日来襲して、日本各地の工業地帯を本格的に爆撃していた。

震電はまだ量産されておらず、日本の防空隊は雷電や飛燕、月光や屠竜などで必死の迎撃を試みるが敵機は悠々と高度で来襲して爆弾を振り撒き去って行く。

一方で震電は、工場が爆撃で損害を受け、量産が困難になっていた。三菱と中島の両社とも、大きな被害を出していたからだ。

それでも何とか生産された10機余りの震電は、分解され牛の引く荷車に載せられて次々と厚木基地へと運搬されてきた。

 

時速700キロ以上で飛行する最新の迎撃戦闘機が、歩みの遅い牛の引く荷車で納品されるとは皮肉なものだ。ここ厚木基地に集められたのは、各戦線から召集された腕に覚えのある猛者ばかりだ。

笹井醇一を隊長に、坂井や岩本、杉田、西沢などのエースが集められ、試作機を使用しての猛訓練に明け暮れていた。

彼らにとっても震電での離着陸は難しく難物と言われていたが、その代わりに空中での性能はすこぶる評判が良かった。

「紫電改よりもずっと速い、武装も強力だしね。何よりも高度性能が凄い」と、猛者たちは口々に震電の性能の良さを讃えた。

実用上昇限度が12000メートルを越える機体は、日本には震電しか存在しない。しかもその速度は水平飛行でも750キロを軽く越える。

機首に取り付けた30ミリ砲は、量産型では4門に増強されていた。この震電の性能を以ってすれば、B-29に十分に対抗できる。

「流石のBこうも、これを一発くったら持たないだろうなぁ」

基地内で組み上げられた震電の機首に突き出た30ミリの砲身を見ながら、岩本は呟いた。

訓練は十分だった。今では乗り慣れた零戦に近い感覚で、この新鋭機を操れる。岩本は厳しい訓練のことや初めて震電を見た日のことを思い出していた。

岩本徹三の震電を見た最初の感想は「でかい!」だった。背も高く零戦と比べたらズングリした感じの機体、異様に長い脚はとても細く見えてボディに比して頼りなく見えた。

訓練機となった試作機と一緒にやって来た鶴田少佐から、笹井以下の搭乗員たちは震電の特徴や操縦要領などを学んだ。

暫くの間は鶴田の講義と地上での操作訓練だったが、1カ月後には飛行訓練が実施された。

それから3カ月、笹井たちは2機の試作機を使い交替で連日訓練を続けた。

震電の離着陸の困難さと裏腹に、空に飛び上がった時の異次元の高性能に搭乗員たちは瞬く間に魅せられていった。

上昇力、速度、操縦者の操作に対する反応の機敏さなどは全く素晴しいものがある。

これならムスタングとも互角以上に渡り合える、F6Fなど手も無くひと捻りに出来るだろう。だが震電の相手はB-29なのだ。それに関して搭乗員の中には不満に感じている者もいる。

 戦況は逼迫しており、B-29は連日大編隊で日本の空を大手を振って飛びまわっている。

隊員たちは自分たち以外にこれを阻止できないと思っている。

自分たちの訓練も十分だ、今この新鋭機を実戦参加させないのは解せない。ベテランのエースパイロットの集団は、夜間戦闘も何とか可能だ。それに先日には納品された最後の一機が組み上がり、杉田がテストを実施して不具合は調整済みとなっている。中隊の臨戦態勢は整っている。

この基地の司令官は小園安名大佐で、出撃の許可を請う搭乗員たちをなだめるのに苦心していた。

小園とて早く彼らと震電を実戦の空に送り出したい気持ちはあるが、如何にも震電の数が不足している。貴重な震電をここで無闇に失う訳には行かないのだ。

ただ現在のところB-29による爆撃は、夜間に限られているから、それを出撃不許可の口実にしている。

それがある時点で一変する。空母艦載機に守られたB-29が、名古屋を昼間爆撃したのだ。

それを皮切りに昼間爆撃が主流となり、いよいよ震電の活躍の舞台が幕を開けた。

208月、訓練中の坂井小隊が空中にあった。

坂井、杉田、杉野の第二小隊の3機が高度1万メートルを飛行する一機のB-29を発見した。それは護衛機も付けず、単機で飛行機雲を引きながら悠々と飛行している。

2時の方向、くじら!!」杉田が報告する。

「あれは恐らく、電波妨害用の偵察機だ」坂井はそう思った。その証拠にさっきから千葉のレーダーからの誘導信号が乱れている。

「小隊長、やらせてください」杉田が血気にはやった声を上げた。交戦はまだ禁じられていたが、坂井たちの血が騒ぎ最早それを止める術はなかった。

「分かった、責任は俺が取る。杉田、撃墜しろ。焦ってへまするなよ」

「分かりました、小隊長殿」

返事が早いか杉田は機体を翻して編隊から離れると、目標に向って一直線に上昇して行く。

「下方攻撃するつもりか、それとも一旦は敵の上に出て急降下で殺るつもりか」

坂井と杉野も機体を2時方向へ旋回させながら、杉田の手並みを見物する積りだ。

 杉田はスロットルを全開にし、B-29の腹の下へ一直線に向っている。真っ青な空を背景にして、最初は白く小さな点に見えていた敵機は、次第にそれが銀色の巨大な爆撃機の輪郭として見えてくる。

照準機の輪の中で、敵機はみるみる大きく成る。

杉田は機銃の安全装置を外し、既に人差し指をトリガーに置いている。

「まだだ、焦るな。こいつ(30ミリ)は初速が遅い。もっと近づくのだ・・・」

照準機の枠が敵機で埋まるまで近づくと、杉田は発砲した。

ドン、ドンと腹に響くごつい衝撃を残して、4門の30ミリ砲が火を吹いた。

次の瞬間、杉田は機を捻り込みながら、ギリギリでB-29の巨体をかわす。そして視界の隅にエンジンや翼の付け根に、閃光が走るのを捕らえた。

哀れな敵機は空中でガクンとバランスを崩し、片方の翼が大きく上に跳ね上がった。次いでエンジンの一基が千切れて飛んだ。銀色の巨大な機体は、燃料やら金属片やらを撒き散らしながら機首を下にしてゆっくりと回転しながら落ちて行く。

その様は、まるでスローモーションを見るようだ。

B-29をかわした勢いのままに、杉田の機は上昇しながら大きな弧を描いている。

これが震電の戦果第一号であった。

帰還した坂井たちは小園指令から、タップリとお灸を据えられた。指令室に呼び出した3名を小園はギロリと睨みつけて、叱りとばした。長々と続く小園の小言に辟易しながら、坂井たちは姿勢を正して聞いている。小言を続けてはいても、その時の小園の目が笑っているように坂井には見えた。

3.終戦

 最新鋭の迎撃機振電が最初の戦果を挙げてからも、彼らの出撃は相変らず許可されなかった。波状的に押寄せる敵の空襲で、厳重に隠蔽してあった震電も既に地上で半数が失われた。

笹井たちは護衛戦闘機を伴った敵が近づくと、空中退避を余技なくされた。木製の囮があちこちで破壊され無残な姿を晒している中、今日も笹井たちは残った震電に飛び乗り、空中退避する。

乗機を持たない搭乗員は、防空壕に入るしかない。杉野の機体も地上で敵の銃撃により失われた。彼は忌々し気に基地上空を乱舞するグラマンを、防空壕の入り口に身を潜めて眺めるしかなかった。

 しかし時には零戦や紫電改に乗り、迎撃戦を展開することもある。

震電以外の戦闘機があれば、彼らはそれに乗り戦ったが、今はもう他の機体も無い。

だが翌日、杉野に思いも掛けない機会が巡ってきた。

「敵襲、搭乗員は空中退避!」

その日は警報の直後にグラマンの編隊が来襲した。各搭乗員は固有の機体に近寄れず、手近な者が機体を避難させるしかなかった。

杉野は笹井の乗機に飛び乗り、すぐさまスターターのスイッチを入れた。乗機を失ってから十日、久々の震電だった。

 既に敵機の銃撃を掻い潜って、味方の何機かは空中に在る。杉野も急いで機の速度を上げて滑走を始めた。エンジンは温まっておらず、時々は息をつくが構わずにスロットルを開けた。

敵の撃つ曳光弾の火線が追って来る、杉田はフットバーを左右に蹴り巧みに進路を変えて、敵機の銃弾を逸らしながらスロットルを全開にした。

震電はたちまち速度を増し、あっさりと空中に浮き上がった。

高度は十分ではないが、追いすがるグラマンを右旋回でかわし、杉田の乗る震電は一気に上昇して行く。

辺りを見回すと、既に何機かのグラマンが煙を吹いている。

頭上では味方が迎撃しているのか、幾つもの雲の弧を描いて空中戦が展開されている。

 

小編隊を組んで一直線に突っかかる様に突進するグラマン、その先にはそれをあざ笑うかの様に鮮やかな捻りこみを決めて突進をかわす震電。

その震電は敵の一撃をやり過ごすと、そのまま敵編隊の後方に付き、小編隊のしんがり機を火玉に変えてしまった。

「誰だ?あの手際は・・・西沢さんか」

味方は5機程度しか空中に居ないが、その10倍もの敵を各所で翻弄している。杉野にも敵編隊が襲い掛かって来る。

戦闘空域は狭く、杉野は頭を常に動かし周囲の状況を把握しながら、不用意に目前に飛び出したF6Fに銃弾を浴びせて行く。

震電の装備する30ミリ砲弾が命中すると、F6Fのアイアンワークスと呼ばれる自慢の頑丈な機体も紙の様に簡単に千切れてしまう。

敵は一機撃墜されるたびに躍起になって日本機を追う。彼らの直線的な仕掛けは、動きの機敏な震電に軽くかわされ、慌てて引き起した頃には真後に震電が張り付いていた。

降下速度でも震電はF6Fを凌駕しており、旋回性能でも勝てないとなると打つ手は無い。

いつの間にか多くの仲間が撃ち減らされ、彼らはパニックに陥った。

「ゼロじゃあないぞ、ジークでもない、こいつは何だ!!」味方のパイロットたちの悲鳴が交錯する無線を聞きながら、指揮官のワッツ少佐は必死で敵を追い回した。彼のキャリアを総動員して、敵を追い込むことに全力を尽くした。しかし撃墜のチャンスは訪れず、若い部下たちの犠牲は増すばかりだ。

「新型機だ、これでは我々は全滅する・・・」少佐は撤退を決意せざるを得なかった。

「全機、戦闘空域から離脱せよ!」

指揮官からの命令を受けて、敵機は次々と戦場を離脱して行った。杉野たちは逃げて行く敵を追わなかった。

しかしワッツ少佐たちにとって不運だったのは、命からがら母艦へと戻る途中で、陸軍の疾風と五式戦闘機に出くわした事だった。この部隊も空中退避していたが、そこは戦闘機乗りたちであり、獲物を目前にして指をくわえては居なかった。

ワッツ少佐の部隊はこの日、多大な損害を出した。その日は日本がポツダム宣言を受諾する前日であった。

 杉野たちは爆撃で穴だらけになった基地には戻れず、各々に付近の飛行場に着陸せざるを得なかった。飛び上がった5機の震電のうち、3機は陸軍基地へ降りた。

2機は埼玉と群馬に降りた。

何れも僻地の飛行場に降りた震電搭乗員たちは、各々に何とかして基地へ戻ろうとした。だがそこで玉音放送を聴いた。

日本の降伏を告げる天皇陛下の勅を聞きながら、人々は涙したり放心状態になったりしている。中には徹底抗戦を叫ぶ人々も居り、小さな田舎基地の司令官は杉野に出撃命令を出した。これは陛下の大御心ではない、敵の策略であるとして、その基地で唯一の戦力であった杉野の震電を戦いに出そうとしたのである。

それに対し「燃料と弾薬の補給をお願いします」と杉野は冷静に答えた。杉野の震電は先日の空戦で燃料・弾薬ともに底を突きかけていた。

それを聞いた途端に、威勢の良かった基地司令官の表情が曇った。既にその基地には弾薬も燃料も無かったのである。

陛下の勅が放送されると、陸海軍の最高責任者から飛行禁止が発令された。こうして最新鋭機震電の戦いは終わった。

後書き

圧倒的な高性能だったが、その登場は既に遅かった。実際の震電はこの物語の様に敵と戦うことはなかった。もし開発が間に合っていれば、現代のジェット戦闘機にも通じるこの画期的なスタイルの戦闘機はどんな戦いをしたであろうか。

想像の翼を広げて書き出してはみたものの、無知な私にとってはこの程度が限界であった。

実際の震電が戦いの空に上がったとしても、どの様な結果に成ったかは分からない。

唯一、言える事は、震電が如何に奮戦しようとも戦争の勝敗には影響が無かったろうという事だけである。

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by levin-ae-111 | 2019-04-08 22:24 | Comments(0)