北陸の名山「立山・白山」
2010年 01月 21日
嬉しい時も悲しい時も、困った時にも僕は富山平野に泰然と横たわる立山を眺望してきた。
今は雪が多く行けないが雪の無い季節には公園の展望台へ登り、富山湾から突然に立ち上がる立山の威容を望む。
僕にとって立山連峰は神であり、故郷の象徴であり心の拠り所なのである。
古くは奈良時代に大伴家持(おおとものやかもち)が越中国主として、現在の高岡市国府に赴任して詠んだ歌に立山は登場する。奈良盆地のなだらかで青々とした山しか知らない家持にとって、ゴツゴツとした急峻な岩山はとても神聖なものと映ったらしい。
神の山、聖なる山として手放しで褒めちぎり、何時までも眺めていたいと詠んでいる。
この立山に源を発する庄川や早月川などの急流が、富山平野を貫き富山湾へと流れ込んでいる。また日本一の落差を誇る称名滝(しょうみょうだき)の瀑布の源もまた立山にある。その川沿いでは真夏でも雪が残り、日本猿やカモシカの愛らしい姿を目撃することもある。立山では最近、氷河も発見されたと聞いた。
五月を過ぎてもその山腹に雪を残す立山は、国の天然記念物に指定されている雷鳥の生息地としても知られている。この季節、彼らは真っ白な羽毛に衣替えして氷点下の高山で春を待ち望んでいる。
さてゴツゴツした岩山で男性的な立山連峰に対し、独立峰で優美な女性的な感じを受けるとされているのが白山である。富山市八尾町の「越中おわら節」にも越中で立山、加賀では白山と唄われている。白山は加賀国の象徴であり、古くから信仰の山でもあった。
ふもとにはシラヤマヒメ神社が鎮座し、白山キクリヒメ命がお祭りされている。
この山に源を発するのが手取川で、浅野川や賽川と共に石川県を潤している。
近年絶滅したと考えられていたが、ここにも雷鳥の生息が確認されている。
両山とも古くから信仰を集めており、万葉集や古今和歌集にも読まれている。
奈良時代には立山がクローズアップされていたが、時代が平安に移ると、今度は白山が都人の憧れの山となった。面白い逸話に清少納言が白山の残雪がいつまで残るか、女官たちと争った。
雨が降り出し、雪はだんだん小さくなっていく。納言は白山の雪が長く残るように「白山の観音、これきやさせたもうな」と祈ったと、とても可愛いエピソードが伝わっている。
この白山の神様と僕は何故か、郷土の山神と地元の人間以上の繋がりを感じる。
昨夏、白山ヒメ神社へ行く計画を立て、迎えの友人の到着を待っていた朝、耳元で五十鈴の音を聞いた(五十鈴とは神に奉納する巫女の舞いで使われる鈴のこと)。
神社では半身に刺す様な痛みが出て、しばらく動けなかった。しかし数分で痛みが治まり、その後はうその様に身体が軽く成った体験がある。
立山の面白いエピソードでは人跡未踏とされていた剣岳山頂で、平安時代のものと見られる尺杖の金具が発見されたこと。登山道が整備された現代でも危険と隣り合わせの剣岳登山だが、そんな時代に山頂を極めた人がいたとは!!
相変らず古人の力強さ、勇気、粘り強さには感嘆せずにはいられない。
東洋の人は遠くに見える峻厳な峰を眺めれば、自然と頭を垂れ神の座として崇めている。
故に古くから山岳信仰が発生し、ごく自然に現代へと受け継がれている。対して西洋ではヨーロッパアルプスなどは逆に悪魔の棲家として忌み嫌われ、近世までその価値を認められていなかった。こんな処にも東西の感性の違いが現れていて、面白いと思う。
何処かへ出かけるにしても、その場所の歴史や云われなどを知って出掛けると楽しみが増す。ただ出掛けるよりは、その方が教養も身に付き思い出も深まる。
言うほどに簡単な事ではないが、短い人生をより豊かにする一つの方法であろうと思う。
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