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by levin-ae-111
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縄文人は海を渡ったのか【Ⅱ】

 先々週に借りてようやく今に成って本格的に読み始めた「海を越えた縄文人」というタイトルの本。まだ半分くらいしか読めていないが、ここでまた中間報告をする。
日本テレビのスタッフと同行するゲストは俳優の仲代達也さん。
プロデューサーの主文の間に仲代さん自身の文章も挿入してある。

僕と同じで海が苦手な仲代さんは、海とは無縁の生活だったが最愛の奥様を亡くされて自分がいかに狼狽し落胆しているかを思い知らされた。全く泳げない仲代さんが、南洋の島々へ出掛け、小船に乗り込み無動力の航海にチャレンジする決意をされたのも、奥様の死と無関係ではなかった。それまでのライフスタイルは、年の半分が舞台、半分が映像の仕事と決まっていたそうである。それが半年間以上も海外へ出て、しかも南洋の島々を無動力の小船で航海する大冒険を決意したのだ。相当の覚悟が必要だったに違いない。

 さて、一行が最初に向かったのはヤップ島だった。日本列島から南西へ3000キロのこの島では、欧米文化が流入している今日でも石貨が未だに価値を持っており儀式やシャーマンへの謝礼として使用されている。この慣習も島の長老たちの伝統文化を守る努力により存続しているらしい。珊瑚しか無いこの島には石は少なく、石貨は遠く船で運ばれてきたものである。中には人の背丈ほどもある巨大なものがあり、運搬の苦労が偲ばれる。石貨運搬の為に落命した人々も多く、海に潜ると沈んでいる石貨が見られるという。

一行がヤップを訪れた理由は、無動力船を用い天測だけで航海する人物がそこに居るからである。「真の航海者」と呼ばれ、人々の尊敬を集める人物の一人がこの島に滞在していたからだ。今回、スタッフと仲代さんは、この真の航海者に率いられたクルーと共に24時間の航海に挑む。

真の航海者とは天測と風や波から位置や方向を見定め、船を目的地へと導く技術を備えた船乗りだ。その存在は縄文人が古代にどのように航海したのか、果たして本当に何千キロも航海できたのかを確かめるヒントを与えてくれる。
この真の航海者の名はレッパンさん、彼は1975年にカヌーで太平洋を3000キロも北上し、沖縄の国際海洋博覧会へ乗りつけた人物であり、実力の程は申し分ない。

このヤップ島では日本の祭りと同じ儀式が存在しており、女性たちによるスティック・ダンスは石貨運搬に出る男たちの無事を祈り祝福するものだ。櫂(かい)に見立てた棒を打ち鳴らして踊るのだが、これが日本の茨城県の祭礼にも存在するらしい。その意味は戦勝祈願だが、その他にも不思議な儀式の符合がある。茨城県鹿島市には12年に一度、ネシアと同様の双胴船が主役の御船祭りなる神事が存在するらしい。

それから生活習慣の奇妙な類似、魚の燻製、餅に似たパンの実から作る伝統的な食物の存在、そして「ふんどし」。この島の男たちは「ふんどし」を身に着けている、大戦中はこの「ふんどし」のお陰で、日本兵との奇妙な親近感があったという。

本来の目的はレッパンさんと共に伝統の船を使い、オレアイ島からサワタル島を目指す航海を体験することだ。この船はコンパス(方向を知る機器)も動力も無い、全ては真の航海者レッパンさんの航海術に懸かってる。予定どおりなら24時間で到着だが、悪天候やレッパンさんの体調不良もあり50時間も費やして要約目的地に到着した。

そして祖先は日本から来たと信じている人々の島、キリゥイナ島へ上陸。島の長老への貢物はサメだ、仲代さん自ら危険なサメ漁に挑戦しハンマーヘッドシャークとホオジロザメを見事に捕獲した。この島の人々には歯を抜くとか歯に切れ込みを入れる、縄文時代に行われたと見られるものと同様の習慣が見られるらしい。
先祖信仰があり櫓(やぐら)を囲んで先祖を迎えて踊る盆踊りと同様の行事、柱を立てる行事は長野の諏訪大社に伝わる御柱祭りにそっくりだ。
そして母系社会であり、財産は女性が引き継ぐ慣習もある。男性は入り婿という形で結婚が成立している。日本でも武士が台頭する以前は男性が女性の家へ通う、通い婚が普通であった。

日本人が祖先と信じる根拠は古い伝承にあり、人々はそれを信じていると長老も認めている。日本同様の先祖を祭る習慣は付近の島々にも存在しているらしい。
そして小船を棺桶にして埋葬する習慣も、日本の縄文時代の遺跡から出土した遺物と共通している。
それからニューブリテン島ラバウルへと一行は向かうが、ここでも日本との共通点を見出して縄文人の足跡を更に確信する。ナマハゲ的な怪物が登場する儀式が共通していたのだ。

実はまだ読了していません、今回はここまでです。
それにしても遥かな太古に勇敢にも大海原に小船で漕ぎ出した縄文人、漂流の末に偶然に南洋の島にたどり着いたのではなさそうだ。先述の「真の航海者」が縄文時代にも間違いなく存在した。彼らが家族単位であるいは部族単位で、日本を船出したと考えられている時期と縄文海進期(水位が上がり陸地が減少した)や気候の寒冷化の時期が一致している。
また九州地方では火山の噴火が続き、多くの縄文人に被害が出ていたに違いない。

縄文時代の祖先たちは生き残る為に船出した。縄文時代は僕たちが教科書で教えられた原始人の時代ではなかった。高度な航海術と農耕、芸術的な土器、先祖崇拝、様々な文化を持ち南洋の島々へと移住して行った文明人だった。
その文化の名残は南洋の島々に受け継がれ、21世紀の現在でも脈々と息づいている。

読了したらまた書きます(^^)
by levin-ae-111 | 2010-02-07 08:38 | Comments(0)