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by levin-ae-111

2011年 10月 07日 ( 1 )

 もう数年も前になるが、友人のMさんと一緒に富山市の山間部にある集落へと出かけた。
その集落、旧八尾町の小井波地区は過疎化が進み、既に僅かな戸数が残るのみである。
富山県内ではミズバショウの群落で有名であり、某大手商社がその環境の良さに目を付けて無菌豚の養豚を手掛けている。
この村は、付近の集落からでも車で細く険しい山道を走り20分近もかかる。そこは山の峠を越え、少し下りミズバショウの湿地を横に見たところで突然に小さな盆地が広がっている。背後には夫婦山が迫り、一筋の小川が涼やかな水音をたてながら部落の中央を流れている。
余談であるが、大昔には富山湾から岩瀬港へ入る目安として、この夫婦山を目標にしていたという。ここは海からは随分と遠い場所であり、夫婦山は特に高い山ではない。
図書館で読んだ本に書かれていた情報だったが、海から夫婦山が見えるとは私には信じられなかった。

 そこを訪れた訳は、Mさんが某宗教団体の人に聞いたという不思議な現象がきっかけだった。彼らは小井波の集落へ、宗教関係の道場を建てるために下見に行ったという。そして小川のせせらぎの傍に建つ『猿丸太夫の塚』へ立ち寄ったそうだ。
その結果、彼らは次々と体調に異変をきたし、道場建設の計画は白紙撤回されたという。
それを聞いたMさんは、興味津々で私を誘ってその塚へと出かけたのだった。
 
私達は付近の町から塚を目指して出発し、舗装はしてあるものの傾斜の険しい山道をひたすら進んだ。眼下には付近の集落と川が小さく見える。
峠の切通しを幾つか過ぎると、春にはミズバショウの群落が美しいであろう山間の休耕田を利用した湿地が見えてきた。
その位置からは、開けた集落の中心が一望できる。何軒もの空き家が朽ちるに任せてあり、既に基礎しか残っていない家や草木に覆われてしまったり、倒壊している家屋が見える。
小川に掛かる小さな橋の手前で車を停め、周囲を見渡すと小川の堤の傍にひっそりと小さな石作りの塚が建っていた。それから、塚の直ぐ近くにもう一本の橋がある。

 川沿いの細道を慎重に車を進め、塚の近くの橋へと向う。遠くからは頑強そうに見えた橋は、近くで見ると鉄骨の骨組みに張られた木の板は朽ちており、幾つも穴が開いている。
自然石を立てた記念碑のような猿丸太夫の塚は、近くで見ると思いのほか小さく、特に変わった様子も無い。
「何か感じる?」とMさん。
「いやっ、特に何も・・・」
私達はしばし、その場所で佇んでいたが、誰一人として人に出会わず小川のせせらぎと、そよそよと吹く風の心地良さを感じるだけだった。
帰りの車中で、Mさんが私を誘ってここへ来た理由を初めて聞かされた。それが前述した内容だったが、私にもMさんにも何の異変も起こらなかった。
と思ったが、沢沿いの狭い道を下りながら、Mさんが突然に「甘い物が欲しい、洋菓子でなく和菓子がいい」と言いだした。

 何だか急に甘い和菓子が欲しくてたまらなくなったMさんを連れて、私は和菓子屋さんへと入った。栗饅頭を買い、Mさんと二人で食べた。
Mさんは饅頭をほおばり、とても満足そうな笑顔になった。
これは猿丸太夫の思し召しなのか?次に訪れる時は、何か甘いお菓子をお供えしようと考えたのだった。

 さて、実のところ私の興味はそんな不思議現象にはなく、猿丸太夫とは何者であるのかという点にある。調べてみると猿丸太夫の塚は、全国の各所に点在していた。
それどころか、近在の別の村にも猿丸太夫の塚が存在している。
本当のところ実在も怪しいのだが、猿丸太夫は平安時代の人物とされているらしい。
しかし正史に登場する事もなく、和歌の中にのみその存在を残している。太夫は三十六歌仙の一人に数えられ『奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき』という和歌は太夫が詠んだものとされる。
 全国行脚を敢行した人物とされてもいるが、全国に点々と残る塚はその名残であろうか。
それにしても現代でも草深い山村である場所へ、そんな時代に都から来訪した人がいたとは何とも不思議な気がする。
by levin-ae-111 | 2011-10-07 05:25 | Comments(4)