身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
カレンダー

<   2011年 05月 ( 15 )   > この月の画像一覧

十六菊花紋の秘密 4

老人は言った。
「私はシュメールの最高神官だ」
老人の声は厳かに周囲の壁に反響し、神秘的な雰囲気がかもし出された。神官は千賀を椅子に座らせ、自らもその向かいの椅子に腰かけた。
現代人とは明らかに異なる神官の風貌と雰囲気に、千賀は圧倒されていた。何という事になったのだろう。巨大な石造りの神殿の奥の間で重厚で圧倒的な壁に囲まれた部屋で、向かい合う神官を見ながら、千賀の心臓の鼓動はいよいよ限界に近くなった。
その時、彼の口から思わぬ言葉が出た。
「日本から友をお迎えできて、光栄だ」
この言葉で千賀の理性は更に混乱した。自分は招かれて来たのか?何故、日本という現代の国名を知っているのか?自分の見ているものは幻想なのか。
そんな千賀の心情を判っているのか、神官と名乗った老人は言う。
「何故あなたはこのシュメールの地に来たのか、自身の心情を不可解に感じていることだろう。シュメールの地には現在の世界に対して、あなた方がまだ知らない重要な働きがあるのだ」
その言葉が、何を意味しているのか千賀には全く判らなかった。

老人は戸惑う千賀をよそに、言葉を続ける。
「人類の文明が、この地から始まったのは偶然ではない。我々シュメールの神官は、時間と空間の法則を知っていた。それぞれその時には、それぞれの時をリードする場というものがあるのだ。
人類文明の誕生を導いた我々は、そこにひとつの法則があるのを知っている。その法則は、人類の総ての歴史に例外なく流れ、今日まで続いている。今日、あなたをここへ招いたのは、この我々の英知をあなたに授けるためだ」
どうして、その様な知識を授けられる必要があるのか?千賀にとっては、何もかも不可解としか言いようがない。次に老人の神官が口にした言葉は、更に千賀を困惑させる。
「あなたもご存知のように、我々シュメールの遺産は殆ど消滅し、新たな時代の始まりを認識した」
それはどうやらアメリカ軍のイラク攻撃により、失われた人類最古の遺跡のことを意味するようだ。どうやら、この年老いた神官は、単に6000年前に居るのではないらしい。
老人は続ける。
「私は肉体を離れた存在として、あなた方を今も見ている。シュメールは現在のあなた方の文明の産みの親だ。地球上の様々な文明は、シュメールから伸びた小枝の様にして始まった。私はその長の一人として、子孫であるあなた方を見守り続けている」

 ゆったりとした表情で千賀に話しかけてくる老人の様は、さながら神を思わせる。スッと真っ直ぐに伸びた背筋は何か普通でない異次元的なエネルギーを発している様に感じさせ、照明がなく僅かな採光があるのみで薄暗い室内でも老人の周囲だけは明るさが増して、輝いている様に見える。
「生命に寿命があるように、人類の集合体としての命、文明なるものにも寿命があることを我々は知っている。そして、その集合体としての命の誕生の地は、その終わりの日までその文明の全てを象徴するのだ。故郷の消滅は、最初から計算されていたことだ。
 シュメールに始まったこの文明は、今、命の時を終えようとしている。私は命の時を終わろうとするこの文明の担い手として、これから始まろうとする新たな命に英知を授けたい」
文明にも寿命がある・・・余りにも常識と異なる老人の言に千賀の思考は殆どフリーズしていた。
[PR]
by levin-ae-111 | 2011-05-21 06:35 | Comments(0)

十六菊花紋の秘密 3

人々の顔立ちや肌の色を観察すると千賀と同じ東洋系の人が多いようだが、白人、黒人など様々な人種が混ざり合っており、さながら国際都市の光景を見ているようだ。
恐らくは、その多くは諸外国から来た人々なのであろう。まるで此処が世界の中心地であるかの様な賑わいがあり、華やいだ雰囲気が漂っている。神殿から離れた遠くの方では、色々な物が売られているようだった。
その向こうに見える町並みや近隣の公共の建物と思われる建造物も含めて、その光景は大規模に繁栄した国際都市の姿そのものだった。
都市の更に向こうは、豊かな緑に囲まれている。現在のこの地とは正反対の豊かな光景は、それが6000年前の光景である。それはまるで、6000年前と現在とが逆転しているような錯覚に陥るほど、近代的な風景と思える程である。

 千賀が立っていたのは、現在は失われてしまった神殿へ至る大きな門の入り口だった。そこで彼は自分が立ち止まった理由が分かった。門の向こうに見える神殿の建物は、愕くほど強固に感じられる美しい建物だった。
神殿には多くの人々が参拝しており、それは日本の正月に見られる何処かの神社の光景に似ていなくもない。世界中から参集したような様々な人種の人々が、真摯に参拝している。
 こんな時代にこれ程の国際都市があろうとは、歴史とは何と不思議なものだろうかと思いその光景を見ていると、他の人々とは明らかに異なる賢者のような面持ちの70歳代くらいの男性が神殿から出てきた。
圧倒的な威光を感じさせるその男性は、レンガ造りの階段をゆっくりと下りてくる。服装は新品と思われる真っ白な一枚の布のようなものを纏っている。
周囲の人々はその老人に会うと、誰もが丁寧に会釈している。彼は神官か王なのだろうか。
その彼が、あろうことか千賀の方に真っ直ぐに歩いてくる。
 どうしてか?千賀は不安と期待の入り混じった心境になったが、その場から動かずに立ち尽くしていた。彼が近づくに従って、心臓の鼓動が高鳴るのが自分でも分かった。

 千賀はそれまで何度も異なる世界へトリップした経験があったが、何れも客観視するものばかりだった。自分の存在がその世界と係わりを持つというのは初めてで、何が起こっているのか判らず、彼は戸惑っていた。
歩みを進めた老人は、遂に千賀の前に辿り付いた。そして威厳に満ちた声で「よく、いらした」と言った。千賀は思わず、無言で会釈した。
 それから老人は千賀に背を向けて、来た道を神殿へと戻って行く。千賀を迎えに来たのは明らかだったので、彼は老人の後をついて行く。
自分を神殿に案内してくれるのか?どうして、自分だけを案内するのか?再び期待と不安がない交ぜになった複雑な気持ちのまま、ゆっくりとした老人の歩みに合わせて歩く。
 老人は神殿の階段を登り始めた。千賀も続いて登り始めたのだが、その階段の見事な造りは高級ホテルのそれのように足で踏むには勿体無いほどに美しいものだった。
そして、二人は神殿の中へと歩み入った。

 神殿の内部は、まるで別次元に足を踏み入れたような実感があった。どっしりとした重量感があり、みごとに並んだ柱は荘厳そのものだった。明らかにただの建物ではなく、神のための建物であるという事が、説明を受けるまでもなく伝わってくる。
美しい迷路の様な廊下を、老人は歩いて行く。足音が洞窟の中を歩いている様に反響している。その洞窟の一番深い所まで行き着くように、千賀は最も奥の間に導かれた。
その部屋の内部は大変に重厚な感じがする美しい壁で囲まれており、その広さは40畳以上もあるだろうか。そして鍾乳洞の中に入ったような、ひんやりとした心地良い涼しさが満ちている。部屋には老人と千賀の二人しかいない。
[PR]
by levin-ae-111 | 2011-05-20 05:20 | Comments(0)
1・イラクへの誘い(シュメールの秘密とイラク) 
 2003年8月21日に、千賀一生は突き上げる衝動に抗し切れず、遂に思いの地に降り立った。そこは戦乱の爪あとが深く残る、破壊し尽くされたイラクの首都バグダッド。
アメリカ軍の空爆を受けたニュースを観ながら、千賀は何故かそこへ行かねば成らないという衝動に突き動かされたのだった。どういう訳か、ただイラクに行きたいと思った。
敢えて言うならば、歴史的瞬間に立ち会いたかったのかも知れない。
危険なイラクの地に行ってみよう、この決断が彼に思い掛けない人類についての情報を与えることになった。それは余りにも驚天動地の内容であるため、千賀はこの本の冒頭でまずはファンタジーとして読んで欲しい、その上で全ての判断を読者に委ねたいと記している。そして、ここで読者に問題として捉えて欲しいのは、この体験の真偽ではなく、彼が与えられ私たちの常識を覆す情報の真偽をこそ吟味して欲しいと前置きしている。

 イラク行きに当たっては、当然のこと千賀氏も迷った。空港で飛行機を待つ間、自分は何をしているのかと、何度も自問した。しかし、時間が過ぎ、飛行機の時間になり何者かに引き寄せられるようにして飛行機に乗った。
飛行機がゆっくりと誘導路から滑走路へと入り、加速して車輪が大地を離れた瞬間、彼は何故か不思議な開放感を感じた。
バクダッドやそこまでに至る道のりで、千賀はイラクの人々の悲惨な現状を嫌という程に眼にした。その光景は、どう見ても善良な人々が一部の権力者の愚考によって地獄の苦しみを味わっている様にしか見えなかった。自らが蒔いた種であるならば仕方もないだろうが、他人の蒔いた種の結果を刈り取らねば成らないこの現実とは何なのか。
そんな腑に落ちない思いと、滞在中に何かがあれば、自分も同様に犠牲者になるかも知れないという切迫した思いと、一方ではこうした光景を人類は何度も繰り返して来たのだろうという、一種の達観した様な妙な気分で町を眺めていた。

 翌日、千賀はエリドゥの遺跡へ行った。エリドゥは人類最初の文明といわれるシュメール文明の遺跡の中で最も古いといわれている遺跡である。
そこへ行ったのは、知り合ったユダヤ人に誘われたからであった。以前に海外に行った時にユダヤ人と親しくなった経験があり、何かの縁かも知れないと思い親しみを感じていた。
千賀は古代史に関心はあったものの、エリドゥへ行くためにイラクへ来たのではなかった。この遺跡への訪問は、知り合ったユダヤ人に誘われたからであり、全くのついでであった。
 誘ってくれたユダヤ人はエリドゥには既に来たことがあるから、千賀を案内して、千賀のために祈りを捧げてから帰ると言った。千賀は、その意味を彼の信仰であろうと考えたので、さして気にも留めなかった。
 遺跡の前に着くと、彼は真摯に何かを唱え始めた。その祈りは10分ほど続いたが、それが終わると彼は言葉どおりに帰って行った。
こんな危険な時期に遺跡を訪ねる人など有ろう筈もなく、荒漠とした大地の上に、一人エリドゥの神殿は立っている。
千賀は一人で、この人類文明最初の遺跡と向き合っている。神殿に向かってゆっくりと歩き始めた千賀だったが、途中でそれ以上は立ち入っては成らないという気がして、彼は立ち止まった。

 エリドゥの神殿はとても孤独に見えたが、反面でそれはまるで樹齢何百年もの巨大な樹木が醸し出すような威厳を湛えていた。この地で6000年もの昔に、人類最先端の文明が栄えていたことが幻のように感じられる。それにしても、当時この地でどのような光景が展開されていたのだろうか。そういう思いを巡らせていたせいか、その光景がドラマを見るように彼の脳裏で展開した。20分以上もそうしていただろうか、ふと気づくと現実の光景の方が幻想であるような感覚に陥った状態で、千賀は当時の光景に出会っていた。
 こうした体験はこれが初めてではなく、二十数年前のある体験以来、彼は度々に似たようなトランス的な体験をしていた。どんな世界にトリップとても、必ず現実に戻ってくるのだが、ただ今回は余りにも現実的に過ぎた。
千賀の意識は、ほぼ完全に過去に移行していた。彼の周囲に一体、何百人の人々が行き交っているのだろう。群衆のざわめきが千賀を包み、賑やか町中の雑踏に彼は居るのだ。
[PR]
by levin-ae-111 | 2011-05-19 05:14 | Comments(0)
 
以前に『ユダヤと日本の不思議な関係』と題する文章をブログにアップしたが、その記述途中で日本国天皇家の紋章とされる十六菊花紋がシュメールの遺跡で発見されているという事を知った。それ以前は、この紋章が日本固有の紋章であると思い込んでいたので、私としてはいささか不思議な違和感を覚えずにはいられなかった。
天皇家の紋章と同じ紋章が、バビロンのイシュタルの門に刻まれているというのだ。天皇家の紋章は時代的に新しいという意見があるが、菊花紋自体は寧ろそれ以上に古いとも考えられる。古代バビロニアの遺跡には、この菊花紋が多くみられるという。しかも、それは王朝のしるしである。壁のレリーフには、菊花紋のリストバンドを巻いて、闘う王の姿が描かれているのがその証拠である。
またバビロンには菊の花が無いので、本当は菊花紋ではなく太陽を図案化したものであるとの見解も存在する。菊花であるにしろ太陽であるにしろ、では何故にそれが王朝のしるしなのであろうか。こう考えると菊花や太陽以外の意味が、もっと深くて大きい何かを示す紋章なのではなかろうか?と疑いたくもなる。
 
 そんな折に友人が「これ、面白いよ」と言って、貸してくれたのが『ガイアの法則』という本だった。そこには夢とも幻ともつかない、しかし理路整然とした話しが展開されている。この紋章の正体とは菊花でも太陽を図案化したものでもなく、地球のパワースポットの中心を示すものだった。360度を16分割したものであり、その角度に従ってパワーがあふれ出す地域と反対にパワーが不足し没落する地域を示しているという。
筆者(千賀一生氏)によれば、近世から最近まで、地球のパワースポットの中心はイギリスに存在したという。その威力たるや凄まじいもので、イギリスは近代から現代へ続く一連の流れの中で世界的な経済、産業、政治の中心となった。それは僅かな国土に資源もない小さな島国の一地方の言葉が、世界共通語として広く流布しているのを見ても納得できる。

多くの人はそのことに疑問を抱かないかも知れないが、本来イングリッシュはブリテン島全体の言葉ですらなかった。彼らは同じ島、或いは隣り合う島々に居住しながらも、文化、言語を異にしていた。イギリスはイングランド・スコットランド・ウエールズ・北アイルランドからなる国家で、イングランド王が一方的にアイルランドを併合し、グレートブリテン及びアイルランド連合などと称していた時期もあった。
この頃の名残は現在も存在する。サッカーではワールドカップをはじめとする世界大会で、イギリス代表は存在しない。存在するのはイングランド代表、アイルランド代表などであり、決してイギリス代表とは呼ばないし、選手たちの仰ぐ旗も異なっている。
そんな国の一部地域の言語が世界共通語になるとは、日本で言えば東北弁や大阪弁が世界共通語となった様なものなのである。
 
 この様に地球のパワーが溢れる場所の勢いは強くなり、その場所の民族、文化も同様に力を増すというのである。古来、私たちの文明の中心地や民族は、入れ替わり立ち変り栄枯盛衰を繰り返してきた。私たちが知っている人類史はたかが数千年に過ぎないが、この地球の営みから見るならば、ほんの一瞬に過ぎない短い間にも幾多の大国が勃興し滅亡した。そして、その歴史が展開された中心地もまた、移り変わってきている。
古代には中東地域にそのパワーの中心点があり、それが移動することにより中東は廃れ他の地域が栄えていったのである。
 ともかく下手な前置きはこのくらいにして、筆者(千賀一生氏)が体験した不思議な老人との邂逅から始まる驚天動地の体験をその著書を中心に追っていくことにしよう。
[PR]
by levin-ae-111 | 2011-05-18 05:22 | Comments(0)

戦国時代の城跡

安田城跡(国指定史跡)
a0160407_5212937.jpg
a0160407_5224420.jpg
a0160407_5235843.jpg
 今日(5/15)は天気も良かったので、以前から気になっていた安田城跡へと出かけてみることにした。しかし、余り期待はしていない。
各地に残る城跡と同様、それらしい跡がわずかに見て取れるだけだろうと思っていたからだ。
安田城は羽柴秀吉が、彼の天下統一に異を唱える最後の反対勢力、佐々成政を攻めるために築城した最前線の平城(平地に造営された城)である。
この城が造営されたのは天正13年(1585年)で、近くを流れる井田川(いだ)から水を引き、城の周囲に水濠を巡らせ、本丸、二の丸、右郭(みぎくるわ)から成る小なりといえども本格的な造りである。しかし、当時はまだ一般的に石垣を築くということは少なく、この城は最前線の砦ということもあり、土塁と水濠により防備を固めている。
 この城跡からの出土物は、主にカワラケと呼ばれる粗末な素焼きの器と、中国製の陶器、坩堝
と溶けた金属、銅銭などである。
 看板を読み、まずは右郭から二の丸、そして本丸へと歩を進める。今は建物などはなく、土塁と水濠に囲まれた四角い原っぱがそこにあるだけだ。一部は乾いた砂岩が露出しているが、その殆どは芝生と小さな雑草が生い茂り、可憐な花を咲かせていた。

 この小さな城跡には驚くべきことに、安田城跡資料館なるミニチュアの博物館まで付属している。流石は国指定史跡とでもいうべきか。
実際の城跡を見学した後で、その資料館へと入ると堀端で挨拶を交わしたおばさんが一人で番をしているらしい。中に入ると城跡からの出土物がケースの中に展示されている。
来館者は私だけ、館内は静寂そのものだった。そこへ先程のおばさんが、何とコーヒーを持って来てくれた。有り難くお礼を言って、ゆっくりと戴くと、おばさんは展示用のスクリーンに案内の映像を出してくれた。それを見終わって、館内の展示をゆっくりと堪能した。

 羽柴秀吉は10万の大軍を引き連れ、射水市(いみず)小杉の太閤山に陣を張る。佐々成政は西に前田利家、東に上杉景勝という大大名に挟まれ、前面には羽柴軍という状況で身動きが取れず完全に孤立してしまった。そして唯一の同盟者と思っていた徳川家康の許へ、厳冬の立山を踏破して援護を要請しに駿府へ向かう。これが世にいう「サラサラ越え」である。
しかし、要請にも関わらず家康は動かず、成政は遂に秀吉の前に屈服し、降伏する。
佐々成政が降伏後に剃髪したと伝わる場所には、現在では碑が建てられている。その後に許された成政は肥後(熊本)に入り、そこで勃発した一揆の責めを負わされ京都で切腹して果てた。
そんな歴史に思いを馳せながら、貸し切の安田城跡と資料館を満喫した一日だった。

安田城跡資料館
富山県 富山市 婦中町安田244-1  
 TEL076(469)4241    開館  AM9:00~PM5:00

[PR]
by levin-ae-111 | 2011-05-17 05:25 | Comments(0)